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一節の紡ぎ(三)『木曜組曲』恩田陸

「もの書きになるのって、初めて客を取らされた花魁みたいな感じだよね。…もの書きとして自分の文章を発表したとたん、それまで一緒にいた、ものを書かない人との間に、決して消すことのできない一線が引かれてしまう。もう、一生消せない。それでも芸達者で立派な太夫になれればいいけど、ただ恥ずかしさと罪の意識に苛まれながら、自分をさらして自分の文章を売っていくなんて」
(『木曜組曲』恩田陸)

「書くこと」で勝負する。そのことの本質が感じられる一節。

登場人物たちは全員が自らの”ことば”を扱う者たち。だからこそ、いたるところに自分の感情を俯瞰する醒めた視線がちりばめられている。上記の一節も醒めた目線だからこその分析だと感じた。

もの書きとそれ以外、花魁とそれ以外を分ける共通の一線。それは「自分自身で勝負しているかどうか」だと思う。

もの書きは自分の感情とことばが商売道具に、花魁は自分の身体が商売道具になる。感情もことばも身体も、自分だけに属するものであり、他者に晒すことは一部の親しい間柄でしか起こりえない。そんな自分の大事なものを晒す。晒して、評価されて、対価を得る。

対して、大半の人は自分を世間に晒さないまま対価を得ている。偽らざる自分を世間に出している人はどれくらいいるのだろう。偽らざる感情で社会に向かっている人はどれくらいいるのだろう。”自分”で勝負していると言える人はどれくらいいるのだろう。

自分を晒すことは痛みを伴う。自分は晒すほどの人間なのか、という恥ずかしさ。世間に合わせていない偽らざる自分に刺さる多くの批判。こんなことを晒してていいのか、人と違う道を行くという後ろめたさ。

偽らない自分が評価されることは素晴らしいだろう。でも、評価されなかったら?それは自分そのものを否定されたように感じるのではないか?

偽らず自分自身で勝負する。聞こえはいいが、痛みは激しい。

だからこそ、決して消すことのできない一線が引かれるのだと思う。

評価されたかどうかは関係ない。一度でも「自分自身で勝負するという覚悟を決めた」という事実が消せない一線を引いている。

醒めた気怠い視線で書くことの本質をつきつけてくる、心に残った一節である。

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( *´艸`)
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あくつさとし

95年製/フージャース⇒Wantedly/モットーは「思考とことばが生きる意味」/本とほうじ茶と彼女が大好きです。/思考の垂れ流しとして、雑多に書き残します。

一節の紡ぎ

好きな小説の好きな一節から、感じたことを紡ぎます。
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