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⑦今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

見出し画像は わたなべ - 渡辺 健一郎 // VOICE さんの画像を使わせて頂いております。ありがとうございます。


さて。「ポリス・ストーリー」でアジアを沸かせたジャッキーですが

次のアメリカ進出までに色々ありましたね~。

まずは興味がなくなったはずの場所から興味を持たれた話。

ポリストが公開された後、ゴールデン・ハーベストを訪れた俳優さんが1人いました。

「キャノンボール1,2」で共演したバート・レイノルズ。

その時にジャッキーと対談して「ポリス・ストーリー」「プロジェクトA」を彼は観たそうなんですが

大絶賛だったそうで

「クレイジー!!」言ってたんちゃうかったかな

そりゃそうですよね。私はすでにジャッキー作品に毒されているのであまり思わなくなっていますが

そりゃクレイジーですよ。あの映画

その衝撃だった作品を、彼は友人に勧めました。その友人というのが

クリント・イーストウッド

2人ともすでに映画に出れば大ヒットの映画スターだったんですけども

ジャッキーの作品を観て、めちゃめちゃ刺激を受けたみたいですね

なんと言うか、凄い先見の明ていうのか

共演した事のある(バート・レイノルズだけですが)とはいえ、あんまり知らんアジア人の作った映画に感銘を受けるとか。

いや、でもゴールデン・ハーベストを訪れるくらいですからね。何らかの交流があったんでしょうね。

でも、この2人が映画関係者に働きかけたおかげなんですけども

1987年のニューヨーク映画祭で「ポリス・ストーリー」が特別上映されたのです。

ポリストを上映する際にバスター・キートンとクリント・イーストウッドのハイブリッドとして紹介されたようなんですよ。

色々調べてて「プロジェクトA」も上映されたという情報も見かけましたが、ソースは見つかりませんでした💦>だからプロAの話は本当かどうかわからない。

英語版のポリス・ストーリーのウィキにもニューヨーク映画祭の時の事がちょこっと書いてあります。

結構興味深いですね。アメリカの方々がどのようにジャッキーを見ていたのかがわかる。

スケールダウンしたシルベスター・スタローンと評されてますね。

単純に体格の事なのか、作品のスケール含めてなのかはよくわかりませんが💦

冒頭で起こすスラム街の中を車で突っ切るアクションは評価されているけど、その後に出てくるお誕生日コントの部分は、好き嫌いというよりは作品の振り幅についていけなかったんじゃないのかなと(シリアスにするならシリアスのままで進んでくれ!と思ったんじゃないのかな)

最後まで読むと、時が経つにつれ作品の評価も変わっていったというのが書いてあります。

しかし話はまだ終わらない

クリント・イーストウッド主演の「ダーティハリー5(英題:The Dead Pool)」という映画があるんですけども

登場人物にアル・クワンという、ハリーの相棒で中国系の刑事が出てくるんですが

ジャッキーに出演オファーが来たそうで

ジャッキーは出番の少なさを理由に、そのオファーを断ってます。

「プロテクター」という、ジャッキー版ダーティハリーの映画を作ったけれど思うような作品にならず

数年後、本家本元の「ダーティハリー」からオファーを受けて、それを断ると。>面白いな~この人。

これはもう私の妄想でしかないですが

きっと自分以外の有名な名前を使いたくなかったのだな(自分よりもビッグネームの人と共演して認知を得られたとしても、一生その名前がついて回ったのだろうし、二番煎じのように思われるのが嫌だったんじゃないかと)

でもこの時点でバート・レイノルズ、クリント・イーストウッドにある意味認められているし、特別上映ではあるけどもアメリカの映画館で「ポリス・ストーリー」が上映されたんですね。

いや凄いなジャッキー。

「キャノンボール」から「ポリス・ストーリー」の間の話(正確に言うともうちょっと前辺りから)って、こんなに面白かったっけ。

次回「レッド・ブロンクス」に行くかと思いきや

もうちょっと寄り道する予定ですw


最後まで読んで頂き、ありがとうございます(^^)



私はジャッキー・チェンを良く知らない、最近知ったばかりの方へ向けて記事を書いていきたいな~と思います。 メリケンコさんのYouTubeで訳詞を提供しております。そちらもどうぞ https://www.youtube.com/c/moriatomerikenko/videos