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私がDxPにいる理由

8ヶ月前。DxPにジョインした当初、私の心には嬉しさや期待よりも大きな「不安」があった。

DxPが関わる生徒たちの中には生きづらさを抱えた生徒がたくさんいる。
その生きづらさは例えばはいじめられた経験や不登校の経験だったり、複雑な家庭環境や厳しい経済状況だったりする。
そんな中を生きる生徒たちと関わりたい、「ひとりひとりの若者が自分の未来に希望を持てる社会」というDxPのビジョンを実現したいと思ってDxPにジョインした。

でもふと自分を振り返った時、自分は恵まれた環境で、何不自由なく育ってきた人間すぎることを思い知った。

学校が大好きで小中高と皆勤賞。反抗期はあったけど家族との関係も良好で。4年制の私大に通い、一人暮らしをしていた。
生きづらさを経験せずに育ってきて「しまった」と思った。

みんなが抱えている痛みを私は知らない。

その痛みに共感できないかもしれない。

ぬくぬく育ってきた自分に一体何ができるんだろう。

自分個人が生きづらさを特に抱えていないことが、DxPで活動する上で重荷になるのでは、と本気で考え、悩んでいた。


入ってすぐの面談で職員であるもずくとこぞさんにこの不安を伝えた。

それに対し2人は、「同じ痛みを経験したことが役立つ場面もあるかもしれない。でも、それが関わり方の全てではないと思う。さんちゃんにはさんちゃんの関わり方が、きっと見つかるよ」と言ってくれた。そして「DxPは生きづらさを抱えていながらも明日も生きてみてもいいかなと思える経験、人とのつながりを生徒が持てる状態をつくっていきたいんだよ」とも教えてくれた。

実はこの時私はまだ現場に出ていなかった。人から話を聞いたり、情報を見たりして頭の中で勝手に不安・悩みを作り出していた。

そうして自分で作り上げた不安

これは現場に出たらあっけなく一瞬で吹き飛んだ。


DxPが運営するいごこちカフェ(食事をとりつついろんな話ができる場所)に初めて行った時、お互い名前も年齢も知らないけど「体育館に肝試し行こうや」と誘ってくれた生徒がいた。

初めて入る体育館で、初めて会った生徒とキャーキャー言いあって。走って。笑って。
純粋に、楽しかった。
見ていてその子も楽しそうだった。
生きづらさとか、しんどさを超えて同じ「楽しさ」を共有できた。


そのことが私の不安を吹き飛ばした。
自分はそのままの自分で関わればいいんだ。そのことがわかった。
そのままの、自然体の自分で関わると生徒と深く関われるような気がした。

8ヶ月の間いろんな学校でいろんな生徒ひとりひとりと関わってきて、自分なりの生徒と関わる姿勢を見つけられた気がする。

4回のクレッシェンドが終わる時、「さんちゃんに会えてよかった」と言ってくれる生徒がいた。

久しぶりに会った時、ハグしてくれる生徒がいた。

「〈さんちゃん〉ってニックネーム、びったりやと思う。いつも太陽(sun)みたいに笑ってるから」と言ってくれる生徒がいた。


当たり前だけどその人の抱える痛みや過去の経験はその人の「一部」であって「全て」じゃない。


私が今まで出会った生徒たちは確かに生きづらさやしんどさを抱えている子達が多かった。でもその中で強く、たくましく、今を生きていた。生きていくって本当に困難なことが多くて。だから生きていることがもうすでにめちゃくちゃすごいことだと思う。心からみんなのことを尊敬している。

DxPは「若者支援」をしているNPOだけど、私は支援をしていると思っていない。
むしろ逆に生徒のみんなに助けられているし、居場所をもらっている。

でもたまに頼ってくれる生徒がいる。その時に応えられるように、何かの支えになれるように、なりたい。

自己満足かもしれない。8ヶ月経ってもまだ何もできていない気もする。
でもそれならそれで進むだけだ。
自分にもっと力が欲しい。誰かがしんどくなった時に、寄りかかってもらえたときに、力になりたい。そう思うから私はDxPで活動している。

DxPは今クラウドファンディングに挑戦しています。
目標金額はなんと1000万円。残り10日であと750万円のご協力をいただきたいです。今回はオールorナッシングなので1000万円全額集まらないと1円ももらえません。

のりさん(DxP創設者、代表)がゴビ砂漠250kmを走ることを応援する1000万みたいに見えるけど、全額DxPに寄付されるので、寄付していただくと、のりさんもDxPもどっちも応援していることになります。
DxPの事業をもっと深く、広く、していくためにはあなたの力が必要です。
どうぞよろしくお願いします!


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