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【Talk & Talk】 feat. Engames 杉木貴文さん 「Engames物語」 前篇

Saashi & Saashi の Saashi がゲストと自由にトークする企画「Talk & Talk」がこのたび note にお引越し。

今回のゲストは、2017年に富山でEngamesを立ち上げ、2020年9月に法人化をなさった「株式会社 Engames」のCEO 杉木貴文(すぎき・たかふみ)さん。

実に1年をかけて3度に渡り収録した超ロングインタビューは4万5千字超え!のボリュームです。2017年に彗星のように現れて以来、日本のボードゲームシーンを力強く全速力で駆け抜け、業界の推進力を増まさしめるご活躍を続けている杉木さんのお話は、これからボードゲームのお店を始めたい、ゲーム出版をやってみたい方には必読の「Engames物語」となっています。

圧倒的なボリュームのEngames回は、前篇中篇後篇に分けて一挙公開! さあ、ここから前篇スタートです!

ボードゲーム との出会い

Saashi お話を始めるに当たって、杉木さんがボードゲームに出会った頃の話から聞かせていただけますか。

杉木 中学3年か高校1年ぐらいにボードゲームと出会ったんですけど、その頃にカードゲームのマジック:ザ・ギャザリング(Magic: The Gathering、以下MTG)にも出会っていました。ボードゲーム自体は高校1年から3年の時にちょっと遊んで、大学生になってからは『プエルトリコ』だけは2002年にメビウスさんで買っていたんです。めっちゃおもしろくて、『プエルトリコ』は結構遊んでましたね。でもそれからは十何年かのブランクがあります。

Saashi そこで中毒にはならなかったんですね。『プエルトリコ』の延長線上で、もっともっとボードゲームというふうには。

杉木 ならなかったですね。

Saashi それはMTGで手一杯だったからですか。

杉木 本当にそうなんです。ぼくは競技的にMTGをやっていて公式の大会にも多く参加していました。プロツアーだと60分、それ以外の公式の大会でも50分かかるものなんですけど、参加プレイヤーたちは1マッチ終わって次のマッチが始まるまでの間、ちょっと時間潰すのに5分10分の短いゲームをやることがあるんですよね。なのでプレイ時間の短いゲームなら遊ぶこともありました。ただMTGのプレイヤーは1試合50分前後というのに体が慣れているので、ボードゲームを遊ぶにも、やっぱりその50分を超えて2時間級を遊ぶというのはなかなかなくて。

Saashi 競技的な意味で真剣にMTGやっていたと聞くと、すごいことのような気がします。

杉木 わりとボードゲームの業界でもMTGをやっていた方はいらっしゃって、たとえば、ぼくが大学も入って東京に出てきた頃の友達で今でもホビージャパンで働いている人がいます。当時、MTGを通じてできた人脈ですけど、ホビージャパンの中にはいまでも結構知り合いがいて20年近くのお付き合いになりますね。

Saashi その方たちに後年「Engamesというお店始めることになった」と伝えた時は、彼らは「おお、杉木くん、ゲームのお店やるんだ」みたいな感じだったんですか。

杉木 そうですね。Engamesを始める時に相談したりはしました。「ホビージャパンの商品をお店に仕入れるためにはどうしたらいいの?」とか。

Saashi 具体的な相談ですね(笑)

10年を経てボードゲームとの再会

Saashi おそらく杉木さんは重量級のゲームがお好きなヘビーゲーマーなんだろうなというイメージがあるのですが、実際どうですか?

杉木 重たいゲームが好きなのは間違いないですね。

Saashi MTGを一番熱心にプレイされていた時代にはドイツゲームのほうはどうだったのですか?

杉木 意外に思う人もいるかもしれないですけど、ぼくはドイツゲームにほとんど触れていない時期というのが十何年かあるんですね。

Saashi 高校時代には出会っていたという話でしたけど。

杉木 はい。15歳から18歳くらいまでの時期にドイツゲームに触れていたんですが、そのあとは大学生になってから少しだけで、10年間はもうどっぷりMTGか仕事に浸かっていました。だから2002年くらいまでのゲームですね。『ブラフ』とか『プエルトリコ』くらいまでで、ぼくのボードゲームは一度止まってたんですよ。

Saashi ボードゲームの歩みでは2003年、04年あたりから2010年くらいまでの時期というのは本当に大きくいろいろ変わった期間でしたよね。

杉木 そうなんですよね、だからその時期をぼくは「失われた10年」として過ごしていて(笑) 『ドミニオン』がリアルタイムで流行ってるのを直で見てたわけではないんですよ。

Saashi MTGにどっぷりだった杉木さんが、10年後にどうやってボードゲームと再会したんですか?

杉木 それは、富山に帰ったことが大きいですね。

Saashi その前までは、どこにお住まいだったのですか。

杉木 東京・富山・福井に転勤していたんです。就職してから忙しく仕事してて、あんまりゲームする時間もなかったですね。そうして富山に戻ったのが2015年で。結局2002年、03年くらいから2015年までの12年間くらいはぼくのボードゲームのキャリアはぽっかり空いてるんですよ。

Saashi  というのことは、富山に戻った時に誰か周りでボードゲームをやっていた人がいたということですね。

杉木 そういう人もいました。そして、また富山で知る人ぞ知る「ボードゲームができるカレー屋」というのがあって。今はもうなくなっちゃったお店なんですけど。

Saashi カレー屋でゲームできるお店!? コンポーネントに匂いついちゃいそうですけど……。

杉木 たぶん匂いついてると思います(笑) 富山では10店舗くらいあるチェーン店で「タージマハル」という店があるんですが、そのフランチャイズのうちの一つなんですが、1店舗だけ店長の趣味なのかボードゲームを置いてるカレー屋があったんです。

Saashi 謎な店ですねぇ。カレーを食べた後にゲームしていくお客が多いと、飲食店としては回転が良くなさそうですけどね(笑)

杉木 閉店後とか休みの日とかに、その店でボードゲーム会をやってるって言うのを聞いて、ぼくは行き始めるようになったんです。それが2015年くらい。

Saashi ではそこから杉木さんは「失われた10年」のボードゲームの空白を取り戻すわけですか。

杉木 ん~、でも正直、その10年間ずっと遊んできていた人たちに比べたら、取り戻せていなかったのではないかなと思うんです。ちょうどその時期に流行っていたゲーム、たとえば『キーフラワー』シリーズとかは遊べていなくて。2015年のニュルンベルク(ニュルンベルク玩具メッセ)が『マルコポーロの旅路』が出たような時期で、そのあたりのゲームからは遊べていましたけども。

Saashi 過去の10年分を遡って一気に買い直すというのも難しいでしょうしね。

杉木 後年、自分がお店を始めようかという時期に買い直したりしましたけど、なかなか難しかったですね。でもボードゲームを遊ぶのを再開した2015年から後はだいたい追いついていけていると思います。

Saashi 10年ぶりのボードゲームは、だいぶ変わっていたんじゃないですか? 杉木さんの記憶の中のボードゲームと比べての進化の度合いが。

杉木 大きく変わってましたね。まるで浦島太郎状態(笑)

Saashi 『プエルトリコ』を遊んでいて、10年ブランクの空いたあと、杉木さんの目には2015年のボードゲームの世界はどう映ったんですか?

杉木 システムが複雑になっているわりには、そんなにプレイ時間は延びてないなという印象がありました。最近ぼくの周りでよく言っている「手番圧縮」という用語があって。たとえば『ニュートン』などもそうですが、リソースの種類がめちゃくちゃいっぱいあるんだけれども、それらを一回のプレイで複数個を動かしてしまう。

Saashi ひとつのアクションで盤面上のコマを動かしつつ、こちらのリソースの変換も同時に行われて、みたいに複合的に動かすメカニックですか。

杉木 はい。それを「手番圧縮」と呼んでいるんです。たとえば、1枚のカードの中で、上部と下部に2つに記載を分けることによって、本来10手番のところ5手番にもできるという工夫。

Saashi その「手番圧縮」の工夫によって、思考の度合いをある程度狭めさせている部分もあるし、プレイ時間も短くなるんですよね。そういう工夫が新鮮に見えたんですか。

杉木 そんな工夫も見えて、昔よりダラダラ長くないというのを感じました。とはいえ、当時カレー屋さんのゲーム会ではわりと軽いゲーム中心に遊んでましたけどね。あの頃は久しぶりにボードゲームを遊んだのでおもしろかったですね。正直、ぼくはMTGをかなり真剣にやってたんですけど、その時期はもうだんだんそれについていききれなくなっていたので。

Saashi MTGからちょっと離れ始めていたんですか。

杉木 ぼくが「現役」で真剣にMTGをやっていたのは、2005年くらいまでのことなんですが、その後はだんだんと……。2007年から仕事が忙しくなってからは、もう半ば引退勢というか、競技的にはやらなくなっていきました。たまに公式の大会に顔出しにいくくらいになってました。ぼくがプロツアーに出たのは2005年が最後でした。昔とった杵柄で日本選手権の出場権利はあるみたいな状態が数年間続いていたので、日本選手権だけには出場しに行くとかはしていたんですけど。

杉木さん富山へ帰る

Saashi MTGを引退された状態で富山に帰ってきたから、ボードゲームがスッと杉木さんの中に入ってくることができたわけですね。

杉木 そうです。富山に来て、仕事も落ち着いたところだったので、すごくハマりましたね。

Saashi あれ? そうなると、富山に戻ってボードゲームと再会してから、Engamesを始められるまでに、それほど間がないのじゃないですか?

杉木 2015年7月に富山に戻って、Engamesを始めたのは2017年の4月なので2年経ってないですね。その1年半ちょっとの間にだんだんボードゲームに染まっていって、結局会社を辞めたんですよね。

Saashi ボードゲーム関連の仕事をしたいと考え出したのはいつからですか。

杉木 2016年の年初くらいから頭にありましたかね。富山に戻って半年ぐらい経った時にはもう「ボードゲームのカフェを富山でやってみたいな」という気持ちにはなってました。

Saashi すごく不思議なんですけど。長いブランクがあって、ボードゲームに再会するとハマると思うんですよ。「すぐにお店を開こう!」と思うより前に、まずはボードゲームを遊び倒したいという感じでハマる気がするんですよね。でも現実的に「お店を作る」という方向にすぐ頭がいくというは変わってるなと思います。そして、お店をやるならやるで「現代的なボードゲームを充分に身に刻み込んでからやろう」とか「失われた10年を完全に取り返して、自分がパワーアップしてから店を始めるほうが良いんじゃないか」と思いそうなんですが、そうではなかったんですね。ボードゲームに再会して半年後には「お店を始めたいな」と考えられたというのは、まずその前提として、富山へ戻ってくるに際して、杉木さんの中でなにか思うところがあったのでしょうか。それに突き動かされたとか他に何か理由が。

杉木 それは……ちょっとあったんですよね。2015年の7月に富山に戻ってから、あれは10月かな、東京にいる時に一緒に働いていた人が癌で亡くなったんですよね。その人はぼくが新入社員で入った時の直属の上司だった人なんです。

Saashi ということは、まだお若かったのですか。

杉木 40歳くらいで亡くなられて。その時に考えたことが一番大きかったかなと思うんですけど。「果たして自分は、このままサラリーマンを続けていく人生で良いのかな?」という気持ちになりました。

Saashi 近しい人が亡くなると、思うところが多いですよね。

杉木 普段から(家業で)ぼくはお坊さんをやっているので、人の死というものには触れる機会は多いんですけど、その先輩は会社が家族的な感じというのもあって……。すごく厳しかった人でもあるんですけど、先輩の家に泊まりがけで一緒に提案書作ったりとか、そういうのもやったりしてた先輩が亡くなられたっていうのを聞いたのは大きかったですね。その先輩は会社の中では営業として「もっとこういうことしたい、ああいうことをしたい」と言ってらっしゃったんですけども、たぶんそれは志半ばやりきれずというところだったと思うんですよね。ぼくはぼくで「この会社にずっといるべきかどうか」を当時考えていて。

Saashi 富山に帰ってきてすぐの時期に、先輩の死というものがあって考え始めたということと、ちょうど時期に富山でボードゲームと杉木さんが再会して、ということが重なったんですね。

杉木 それらが重なり合って、2015年の10月から真剣に考え出して、16年の初めには実際どういうふうにしていこうかと思い始めてましたね。

Saashi そのころに杉木さんが構想していたお店の姿というのは、のちに開業するEngamesそのものだったんですか。

杉木 そうですね。やっぱり一番最初に思ったのは「ボードゲームがものすごく良い趣味だな」ということ。頭を使ってゲームを遊んだあとに得られる楽しさとか面白さとか快感、それを少しでも多くの人にも遊んで感じてもらいたいなぁと思ったんですね。歳をとっておじいちゃんおばあちゃんになっても続けられる趣味ですし。このボードゲームの良さのわりに、まだまだ世の中に浸透しきれてないなと感じていたので。

Saashi おっしゃる通り、ボードゲームは本当に息の長い趣味なのかもしれないんですよね。歳をとっても若い頃と同じように楽しめる趣味としては稀有かもしれません。

富山でボードゲームカフェを開店するということ

杉木 そのタイミングでまず考えたのは、東京や大阪、名古屋ではボードゲームカフェが少しずつ増えてきて遊べる場所が増えてつつあるけども、まだ富山にはないということ。だから富山でそういう場所を作るというのは意味があることじゃないか。あとは、ボードゲームを遊べる場所を「地方で作る」ということは、ボードゲームの性質にとってもすごく意味が大きなことだと考えたんですね。

Saashi それは「地方で」というのが大切なポイントなんですね。東京や大阪ではないところで。

杉木 はい。ぼくは経済学を学んできた人間なんですが、「ネットワーク外部性」という考え方があって、それを元に考えていることなんです。

Saashi ネットワーク外部性?

杉木 ボードゲームというのは、それを趣味としてる人がある程度の人数固まっていないといけませんし、そもそも遊ぶ場所も必要ですよね。たとえば、携帯電話は「ネットワーク外部性がある財」のひとつなんです。ボードゲームも結局自分だけがボードゲームという趣味を持っていても仕方がなくて、複数人ボードゲームを趣味としている人が必要です。その人数が増えればようやくボードゲームを遊ぶことができるし、周りの人がやってるかどうかで自分がどれだけ楽しめるかも変わってくる。ボードゲームを趣味とする人が増えれば増えるほど、自分もボードゲームをだんだん遊びやすい環境になっていく。その「財」を持つ人が増えれば増えるほど、その「財」から得られる「幸福」も増えていく、という性質のあるものを「ネットワーク外部性がある財」というんです。経済学の用語ですけど。

Saashi 携帯電話もボードゲームも、確かに自分一人だけが持っていたり趣味としていてもどうにもなりませんよね。

杉木 それを趣味とする人が増えれば増えるほど、ボードゲームを遊ぶことが容易にできるようになる。だから、自分以外の人にそれを持ってる人が増えるほど、ボードゲームから得られる「便益」が大きくなるということなんですね。

Saashi その考え方と「地方でお店をやる」ということが繋がるわけですね。

杉木 そういう「ネットワーク外部性のある財」を考える時、地方の場合どうしても人口が少なくてあまり人が密集していないから廃れやすい傾向があるんですよね。周りにそれを趣味にしている人が少ないと、「だったらもうボードゲームを趣味にしなくてもいいか」となってしまいやすいわけです。で、そういう「ネットワーク外部性のある物理的な財」というのは、経済合理性に従えば、だんだん都市部に集中していくわけです。携帯電話でいうとキャリアが密集して統合されていく感じです。キャリアがもし経済合理性だけを追求するなら、都市部だけにアンテナを建て始めるわけで、それを防ぐためにも総務省の規制が入っていたり。

Saashi だんだん都市部に集中していく。東京ではボードゲームを趣味として遊ぶことができても、人の少ない地方では趣味として成立しづらくなるということですかね。

杉木 そうです。でもその「財」の性質とか、そういうものに甘んじてたら、生まれた場所とかそんな理由でボードゲームを遊べなくなるというのではあまりにもったいない。だから最低限ちゃんと「集まってボードゲームを遊べる場所」を地方にも用意するということが、ボードゲームが浸透する上ですごく意味があることだなと思ったんです。

Saashi なるほど、それは富山市だけの話ではなくて、日本の他の地方も含めた話でもあったわけですね。

杉木 そうです、そうです。

大学時代に学んだ「ゲーム理論」

Saashi 杉木さんは経済学を学んでおられたんですか?

杉木 ぼく実は「ゲーム」を専攻していたんですよ。

Saashi ゲームを?!

杉木 経済学部にいらっしゃった方だったらご存知かと思うんですけれど「ゲーム理論」という数学の一種、応用数学があるんです。

Saashi ゲーム理論を学んでおられたんですか。それを学ぼうと思ったのは、杉木さんが中高時代にボードゲームやMTGに出会っていたことと関わりがありますか?

杉木 ボードゲームやカードゲームに出会っていたので、人の行動に興味を持ち始めたというところにたぶんきっかけがあります。

Saashi 「ゲーム理論」というのは、ゲームの分析に役立てるものなんですか? そういうイメージはあまりないんですが。

杉木 まぁそうですね。ゲームの「解析」には使えますね。でもゲーム制作自体に直接役立つものというものではなくて、もっと数学的な理論ですね。こう言うとあれなんですけれど、「ボードゲームの業界の中の制作とかいろいろなこと」に役立てるというよりは、もっと広範囲の社会的に意義ある方向に役立てる感じの考え方なので。ゲーム理論的な考え方で、法律のデザインとかを考えるというふうな。

Saashi 社会を視野に入れた理論の使い方。

杉木 そうですね。あるルールに則って人々が行動する中で、その行動が「お互いにインタラクションがある状況」というのを「ゲーム的状況」というふうに捉えて、それを数学的に厳密に定式化した上で、そこに対して何が起こるかを解析するというものですね。ただ、ゲーム理論の黎明期でもあり、かつボードゲーム産業の黎明期でもあった50年代、60年代は理論家もゲームを作っていたようで、有名なところだと、映画「ビューティフルマインド」のモデルになったジョン・ナッシュの『Hex』とか。

Saashi 杉木さんがゲーム理論を学んだことによって、ご自身の中でボードゲームに対しての影響というか深まりはあったんでしょうか。

杉木 正直、今ぼくがやっているボードゲームの制作などに直接の影響ということはないですけど、「相手のことを考えること」とか「この先の将来がどういうふうになっていくかを予見する」とか、そういう面では影響はしているかもしれないですね。

Saashi 「この先の将来」というのは、たとえば業界の将来とかの予測みたいな意味ですか。

杉木 そうです、業界の将来。それを考える上では、今でも結構活きているのかなとは思います。

註:今週発表された本年(2020年)のノーベル経済学賞も、オークション理論への貢献によりゲーム理論家が受賞しました。この30年でゲーム理論家は9回受賞しており、完全に最新の経済学のメインストリームになっています。今回のノーベル経済学賞受賞に対する様々な日本での言説をまとめたリンク集がnoteにありました。(杉木)

Engames 開店の頃

Saashi ぼくはまだEngamesさんの店舗に行ったことがないのでわからないんですけど、富山市のどのあたりにあるんですか。繁華街というわけではないんでしょうか。

杉木 繁華街ではないですね。学生街かな。富山駅から路面電車で10分ぐらいですね。車なら5分くらいで、そこまで遠くはないです。

Saashi 杉木さんがEngamesを構想している段階では、カフェだけを想定されていたんですか。ゲームを販売するショップとしての機能は最初から想定されてましたか?

杉木 そうですね。ボードゲームを買うことができる場所というのも、北陸にほぼない状態でしたから、最初から考えてましたね。

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Engames店内(画像提供:Engames)

Saashi ボードゲームを購入できる場所として、やはり実際に見て買える場所が大事だと考えたということですか。

杉木 店員がきちんと対応して買うことができる、ということが大切だなと。ボードゲームはほんとに幅が広いものですけど、実際に間口を広げて新たに入ってきてもらうにしても、ある程度の専門性を持ってゲームをお薦めできる店員がいないといけないと考えてるんです。なので、そういうことがちゃんとできる場所を作りたい。物があってもそれだけじゃダメで、それに関してちゃんと適切な判断でお薦めができる人がいるということが大事だと思います。

Saashi お店のスタート時点では、それを担う人材は、お店で杉木さんだけだったんですか。

杉木 基本的には、スタートからずっとぼくが中心で1人に近いですね。途中で2人体制になった時期もありましたけど。ボードゲームの市場の大きさ的に考えても、また地方でやるということを考えても、そういったゲームのしっかりした「販売」と、ボードゲームカフェとしての「場所」というところまで全体を含めていかないと、仕事として成り立たないし食っていけないというところもあって、その「販売」と「場所」を複合させたボードゲームカフェとしてEngamesをスタートさせました。

Saashi 開業を決断されたのは、昨今のボードゲームの業界が熱くなってるなと思ったからでしょうか。

杉木 そうだと思いますね。やっぱり、やりたいという気持ちだけではできるものでもなくて、それに対してある程度の収入も見込めないといけないけれども、それが「今だったらいける」という感覚を自分の中で持ったからですね。

Saashi 富山という地方都市で新たにボードゲームカフェを開くというのは、都市部に比べてあまりライバルもいないので良い環境という分析だったのでしょうか。

杉木 そうなんですが、まぁ正直な話すると、Engamesが開いたあとに2つか3つお店ができましたね。ただ他のお店がやらなかったのは、やはりゲームの「販売」の部分です。販売はどうしてもそこにいる人間にすごく負担をかけるし、在庫持たないといけないので初期投資がハンパなくかかるので、やられてないのだと思いますけどね。

Saashi ボードゲームのお店を開くとして、杉木さんの中で候補地は富山以外で開くお考えはありませんでしたか?

杉木 そうですね。やっぱり地元ですからね。ぼくは(家業の事情で)必ず実家を継がなければいけないので、いずれは富山に帰らなければいけないということがありました。あとは、ぼくの個人的な考えなんですけど、東京一極集中というのではなくて、地方で頑張っている人を応援したいとか、地方でやりたいとかっていう気持ちはありました。

Saashi なるほど、ぼくの好きな札幌のTHA BLUE HERB(ブルーハーブ)的な考えですね。地方割拠で頑張るという。

杉木 北海道のTHA BLUE HERB、bloodthirsty butchers、それに博多のナンバーガールとか。

Saashi なるほど、すごいわかります。それで、富山でやることの現実的なメリットというのは、ご自分の中ではどの程度あったんでしょうか。

杉木 まずは人脈ですね。地元での繋がり。昔ぼくに初めてのボードゲームを教えてくださった人も富山でまだ現役でボードゲームを遊び続けていらっしゃていましたし。他にも富山には、『ノコスダイス』を作られたyskさんとか、いろいろなゲーマーの方がいらっしゃいましたから。

Saashi 杉木さんにとっての地の利があったということですよね。

杉木 地の利はあったと思います。

Saashi 地方で始めることの実質的なデメリットはないものなんですか。

杉木 それもやっぱり感じてはいて、それこそ、東京や大阪への出張が本当に多いというのがありますね。東京行って打ち合わせして、京都・大阪へ来て別の打ち合わせをしなきゃとか、そういう距離的なハンデというかデメリットは確かにあります。

Saashi 出張が増えると、距離的に金銭的に、というよりも、第一に時間的な負担が大きいですよね。

「文脈の守護者」

杉木 当時ボードゲームカフェというものはまだ富山になくて、ボードゲームカフェと、ゲームを販売できるショップを複合でやれば、いけるかなという考えでした。

Saashi ゲーム販売とカフェというのはそれぞれ違うものだと思うんですけれど、ショップ&カフェにしたとき、富山であっても、カフェでの採算はとれると杉木さんは事前にある程度の計算をされと思いますが、結果的には計算通りだったんでしょうか?

杉木 だいたい計算通りでしたね。ショップだけでもダメだし、カフェだけでもダメでも、ショップとカフェの複合だったらいけるだろうと思っていて、実際その通りでした。片方だけの利益だと生活はしていけないけれど、両方とも合わされば食っていけるっていう見立てをして、そこは想定通りでしたね。

Saashi 最初にお店を開いた時点では、将来ボードゲームの出版をすることはその延長線上で考えておられたんですか?

杉木 やれたら良いなくらいで考えてました。あとは、ここから先は表現が難しいんですけれど。ショップとかカフェとかをやっていく中で、今の日本のボードゲーム出版の状況に対して、ちょっと不満と言ったらあれですけど、頼りないなと思うところがあって、自分がやることでそこを埋められるんじゃないかなっていうことを思い始めました。

Saashi それは自分が出版する側に立つことで、なにかできることがあるのではと考え出したということですか。

杉木 そうですね。それまでは全然気づかなかったんですけど、お店を始めてみたら、改めてそのあたりの足らないところが見えてきた感じでした。自分がサラリーマンしていたころとは全然違って、生活のほぼすべての時間をボードゲームに使うことができるようになったので見えてきたことでもありますが。

Saashi 業界的に「これがあったら良いのに無い」という状況が見えてきたと。

杉木 具体的には自分がゲームの小売をすることで見えてきたことですね。たとえば、日本と海外との出版の時差があります。海外で出版されたゲームが、国内で出版されるまでの時差。そもそもタイムラグがあっても後日、日本で出版されればまだ良いですど、出版されないゲームも多い。それこそ昔の名作でもいまだに日本語版がないものも多かったりしますし。

Saashi なるほど、タイムラグはたしかにありますよね。そういった地方の格差や、海外との出版時期の時差などをどうにか改善したいという想いが杉木さんの根底にあるんですね。海外のゲーマーならエッセンの新作がすぐに手に入るのに、日本のゲーマーは日本で生まれたばかりに容易に新作が手に入らない。入手できるとしてもかなりのタイムラグを要する。

杉木 その時差を埋めることに、思い至ったんですね。で、これは後年のことになりますが、ある時、上杉真人(I was game)さんと話をした際に「杉木さんはボードゲーム文脈の守護者だよね」というふうにおっしゃられたんですよね。

Saashi おお、文脈の守護者ですか。

杉木 「これまでの海外市場の文脈からずれてるところ、足りないところを補おうとして、日本市場にひとつのストーリーラインを作るというところを大事にされているのかなと思います」と言っていただけて。自分でも改めて考えると、たしかにそうかもしれないなと。

Saashi インターナショナルな感覚を導入するというか、正常に伝える役割。足りないところを補う役目というのは、言い得ていますね。

杉木 そのインターナショナルな感覚はこれまでもずっと日本に導入されてきてはいたんです。メビウスさんとかテンデイズさんとかが長年やってこられたことだし、アークライトさんとかホビージャパンさんもずっと頑張ってやってくださっていることです。でも、それでも足りない範囲はまだあって、その部分をEngamesが補おうとしているという感じなんです。上杉さんもそう見てくださっているのかなと思って嬉しかったですね。

Saashi その欠けているピースは、日本のボードゲームシーンで文脈的には埋まっていてくれないと困る、本来あってくれないといけないというものなんですね。

杉木 そのままでは、ミッシングピースになってしまって、5年後10年後に「このゲームがどうして日本で流通してなかったんだろう?!」みたいなふうにあとからなるのは困るので。ちゃんと埋まっていれば、海外から見て日本市場がしっかりしたものだと見てもらえる可能性が増えると思います。

Saashi なるほど、それはまさしく「文脈の守護者」ですね。

ニュルンベルクとエッセンの初視察

Saashi いまは富山でも少しボードゲームカフェが増えてきたというお話でしたね。

杉木 やっぱりボードゲームのカフェという部分は参入しやすい領域でもあり、増えてもきたのも事実です。増えたことに対して良い悪いというのはないのですが。お店が増えていく中で狭い地方都市で競合していくと、経営する側は食べていくのも、もしかしたら危うくなるかもという状況の中で、この先支えとなる足はいくつか持ってたほうが良いかもしれないと考えて、海外のボードゲームを輸入するということに繋がっていくわけです。

Saashi 当時お店で販売していたのは、国内で流通しているゲーム、つまり卸で仕入れたボードゲームを売っていたんですよね。

杉木 そうです。卸から買って小売店として販売する形でした。

Saashi そこで新たに自分が海外から輸入したゲームを、Engames独自のラインナップとして打ち出していく、というふうにしていこうと思われた。

杉木 それに加えて、Engamesを通して国内でその商品を卸すことも視野に入れてました。2017年の4月にお店をスタートしたんですが、「海外のボードゲームを日本に入れて、和訳ルールを付けて売るというビジネスをやったらどうだろう?」というのは7月くらいから検討を始めた感じでした。

Saashi なるほど、お店を開いてから考え始めたことであって、開業前の時点ではそこまでは頭には描いていなかったんですね。

杉木 そこは全然なかったです。

Saashi ちょっと日程的な確認に戻りますけど、杉木さんは会社をお辞めになってから、すぐにEngamesを開店なさったんですか?

杉木 2017年の1月31日に会社を辞めて、翌日の2月1日からニュルンベルクに行ってるんですよ。

Saashi え、4月の開店より前にニュルンベルクに? それはメッセに見に行かれるとしても、目的としては何をしに行かれたんですか。いまのお話では仕入れ目的ではなさそうですが、本場のゲームに触れに行くのが目当てだったんでしょうか。

杉木 その時はただの卒業旅行的な(笑) 仕入れる気持ちとかはまだ全然なかったですね。ただ近々ボードゲームカフェを開く予定がある中で行ったというだけです。でもまあ、その時点ではまだ具体的なプランがあったわけでもないですけど、もしかしたら5年後とか10年後とかに、そういった出版などもすることになるのかもしれないとは考えていたのかな。やらないかもしれないけれども(笑) 

Saashi まさか卒業旅行気分だったとは(笑)

杉木 カフェを開業したあとは、そんなに簡単にはドイツへ海外旅行へ行くこともできないかもしれないと思って……。会社を辞めて、新しく「ボドゲカフェ」に進学するまでの期間に、いましかない!ということで行ったんですね。

Saashi なるほど。初ニュルンベルクを聞いたついでにお尋ねしますが、初めてエッセンへ行くのはいつだったんですか?

杉木 その年の10月に行ってますね。

Saashi あれれ? 4月にボードゲームカフェを始めて、7月くらいから輸入ゲームも仕入れようかと考え始め、10月にはもうエッセンに行っているんですか?

杉木 そうですね。ただ、その時のエッセンは、もう一回……卒業旅行というか(笑)

Saashi もう一回、記念に旅行しておきたかった!?

杉木 7月から輸入したいなと検討を始めていたんですけど、9月くらいに『サグラダ(Sagrada)』を輸入することが決まったんですよね。

Saashi それは日本のディストリビュータとして、取り扱うことが正式に決まったということですか。

杉木 そうですね。輸入販売することが決まって、それなら次は日本語版を「出版すること」だなということで。それも少し頭に描きつつ、10月のエッセンのチケットを取ったんです。

Saashi 開店から輸入販売、日本語版の出版も検討というのは、これ全部同じ年のことなんですよね。すごいですよ、スピード感が。

杉木 まあ、その時点ではまだ出版は現実的には決まってなくて、出版かまたはディストリビュートのほうをもう少し広げるなり検討していきたいなということでしたね。「このゲームを日本語化したい」という明確なターゲットが行く前にあったわけではなかったです。実際のところ出版事業をするとして、「どんな相手とどんな交渉をするのかなぁ」「わからないなぁ」という感じでした。

Saashi そもそも初めてのエッセンなんですもんね。

杉木 いろいろなものが初めてなので。会場を歩いてブースを見て回って「こういうゲームが販売されているのか」と眺めたり、試遊のやり方を見るのも始めてだし、日本の各出版社の方々、ホビージャパンさんとかメビウスさんとか歩いてるのが見えるわけですよ。「ああ、なるほど、ああやって折衝しているんだなぁ」とか(笑)

Saashi 下見らしくなってきましたね。結果的にビジネス面での成果はあったんでしょうか。

杉木 全然、成果はゼロですよ。なにもない。そう言う意味では完全に視察でしたね。

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