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5人にとっての、誇りでありたい

件の報道から、1週間がすぎた。
まだ1週間しか経っていないのか、と思うほど、長い長い1週間。


はじめに断っておくけれど、同じスマオタでも、考え方は千差万別だと思っている。
これはあくまでも、わたしはこういうことを考えながらこの1週間過ごしてきた、という、個人の記録。 スマオタの総意ではない。


先週の水曜日、目が覚めて最初に目にしたのが、そのニュースの見出しだった。

「SMAP解散危機」

「何これ。またドラマでもやるの?」と眠気の抜け切らない声で聞いたわたしに、母が「ううん、違うみたいだよ。なんか、今回は本当に解散しちゃうのかもしれない」と答えた。わたし以上にSMAPを愛する母のその声色が、妙に穏やかだったのを鮮烈に覚えている。無理にそう装っていただけかもしれないけれど。

まるで現実味がなかった。
なにせわたしは昨年末に、いいかげんに自分の名前でのFC名義を作ろうと払込みを行ったばかり(今までは、母の名義の恩恵に預かっていた)。 有給も全てSMAPのために取っておいてあるし、ボーナスもほとんど手付かずの状態にしてあるし、万全の体制で25周年に臨む所存だった。ここで解散なんてされたら、困るのだ。
オオカミ少年状態で、はじめは誰もがその報道に対して「また出たの(笑)」という反応だった。とはいえ、「どうやら今回はいつもと違う」と気付くのに、そう時間は掛からなかった。

それから5日間はまるで、例のドラマの中の世界を生きているかのようだった。スポーツ誌やワイドショーでは、センセーショナルな見出しの数々。一般紙やNHKのニュースにさえ躍る、「SMAP解散」の文字。芸能人のみならず、永田町までもが彼らに言及する事態となった。そんな様子は割とはっきりと覚えているんだけれど、この5日間自分がどうやって生きていたのか、特に報道が出てから金曜日までの3日間をどうやり過ごしたのかはあまりよく覚えていない。「スペシャリスト」初回はすごく面白かったけど、他のことを何も覚えていない。

いろんな人が、いろんなことを言っていた。スポーツ新聞も、芸能リポーターも、タレントも、そしてファンも。だけどどれも、憶測や邪推の域を出なかった。
「事務所が悪い」「メリーが悪い」「飯島が悪い」。報道を見て、誰かを断罪してしまうことは簡単だったかもしれない。けれど残念ながら、わたしにはそうすることができなかった。そりゃ、事務所やメリーさんのやり方には正しくないところもたくさんあっただろう。でも、飯島さんが全て正しかったとも思わない。そもそも、事務所の内情が実際のところどうなっているか、まるきり客観的な真実を知っている人は外部には誰もいないと思う。だから、誰が悪いなんて言えなかった。強いて言うならば、タイミングだけは間違いなく悪い。よりによって、25周年が始まったばかりの、最高におめでたいはずのこの時期にこんなことにならなくたっていいのに。

会社の人に「SMAP解散って本当?」と聞かれ、「わたしに聞かれても分からないので本人からのコメントを待ってください」と機械的に返す日々をどうにか乗り越え、迎えた金曜日の夜。Whtat's UP SMAP!を通じて、「信じてついてきてください」という言葉が届けられた。翌日のSome girl' SMAPでは、中居くんが「今年は踏ん張る」と話した。その言葉だけでも、わたしが前を向くには十分だった。


2016年1月18日。
その日付を確認するかのような木村くんの発言を皮切りに(タイムリープ説、個人的には大好物だ)、ようやく、SMAP5人から直接言葉が届けられた。
でも、あれは誰に向けたものだったんだろうか。

“解散しない”という言葉こそ聞けなかったものの、5人が並ぶ姿を見せてくれたことには本当に感謝している。あの場で「これからもよろしくお願いします」と言った以上、SMAPは存続するのだろう。少なくとも、しばらくの間は。でも、彼らが解散せずに存続するとしても、進むのは茨の道だろう。だから、もちろん解散しないでほしいと思う一方で、もし彼らがそれを選ぶのであれば受け入れる覚悟はしなければいけないと思っていた。

「あんなの、心からの言葉には思えない。」たくさんの人が絞り出したその言葉には、心底同意する。でも、いくつかの邪推には同意できない。もちろん、5人が言外に伝えたいメッセージはあったはずだろうし、わたしの目にもそれはSOSのように映った。並び順や話す順が意味するものも、無くはなかったと思う。だけど、だからと言って、邪推しすぎて冷静さを欠いてしまったら、何かに負けてしまうような気がして。

わたしが目にした紛れも無い”事実”は、画面の向こうに5人が並んでいたということ。それから、彼らの表情。
特に、慎吾くんのあの表情を、わたしは一生忘れないだろう。言葉を詰まらせ、絞り出すように話し、最後は少しでも早く言い終えようとするかのように早口になった慎吾くん。”慎吾ちゃん”と呼ばれ、皆に愛されるいつもの彼からは程遠いその姿が悲しくて、そして悔しかった。誰を責めたらいいのかももはや分からなくなっているけれど、慎吾くんにあんな顔をさせた存在を、わたしは決して許さない。


2016年になってすぐのCDTVで、SMAPは「STAY」という曲を歌った。多くのファンの意表をついたその曲の歌詞は、驚くほど示唆的だ。

Let you know 大事なのは続けること
楽しいだけでいれない時も
キミの笑顔の理由が僕なら誇らしく思うから

SMAPは、存続することを選んでくれた。下世話な話、もう引退しても死ぬまで遊んで暮らせるだけの財産を持っているだろうに。これから先、茨の道が待ち受けていることも知っているだろうに。その理由の中には、あちこちで言っているように”自分たちの居場所がSMAPだから”ということもあると思う。でも、存続を決めた何よりの理由は多分、<君の笑顔の理由が僕なら誇らしく思うから>なんじゃないかと思う。

報道から1週間、たくさんのファンが「解散しないで」「SMAPは終わらせない」「5人でいてくれなきゃ嫌だ」と声をあげた。CDの購買運動をしたり、ラジオに彼らの曲をリクエストしたり、FCに葉書を書いて送ったり、様々なテレビ番組に要望を出したりした。
だって、わたしたちファンにとっての<笑顔の理由>は、SMAPだから。いなくなってほしくないから。程度の差やニュアンスの違いこそあれ、その想いは全スマオタ共通のものだろう。

それをSMAPが<誇らしく>思ってくれていればいい。重荷と思っていなければ。

剛くんの騒動の時にも、「この瞬間、きっと夢じゃない」の購買運動が起こったし、実際にメンバーの口からそのことについてのコメントもあった。購買運動自体を否定するつもりは、一切ない。思いを伝える方法としては確実に有効だと思うし、自分もこのタイミングで「Top of the World」「We are SMAP!(Blu-ray)」を購入、「世界に一つだけの花」を予約している(ウィアスマに関しては、単に良い画質で見たかったので買っただけである)。
だけど、それが今回のファンの行動を悪い意味で助長してないかなと、少しだけ不安になる。”伝えれば届くんだ”と、過信しすぎてはいないかと。

わたしたちはただのファンにすぎない。彼らがどんなに大きな存在だったとしても、否、大きな存在だからこそ「SMAPは終わらせない」なんて言う権利はファンには無いはずだ。「終わってほしくない」「続いてほしい」「SMAPが大好き」と願うこと、伝えることは自由であっても、「終わらせない」と言う権利は多分、わたしたちは持っていない。

報道が出てすぐの時は、「内部のゴタゴタが原因の解散なんか、納得行かない」と思った。
その次は「解散しちゃ嫌だ、そのためなら何だってする」と思った。
今も、ずっとSMAPでいてほしい思いは変わらない。でも、わたしたちの笑顔の理由がSMAPだという事実を彼らがもし重荷に思うなら、降ろしてもらっても構わないような気がしている。考えれば考えるほど、分からなくなる。

もちろん、全て”もしも”の話。 わたしが、あまりよくない頭でごちゃごちゃと考えただけの話だ。だけど、悩めば悩むほど、ぐちゃぐちゃになる。
ラジオ越しに「信じてついてきてください」と言ってくれた木村くんの言葉にも、「今年は踏ん張る」という中居くんの言葉にも嘘偽りはないと思っているから、今はただ邪推せず、5人を信じて踏ん張るだけだ。


「STAY」の最後は、こんな詞で終わる。

I'll be... Won't you stay?
We'll be 愛を撃て 僕らずっと共に生きよう
永遠なんて言わないからさ 鼓動止む そのときまで
We'll be together Yours ever
あなたと共に歩こう いろんなことを乗り越え
たったの50年 一緒に…

こんな歌詞をメッセージとして届けてくれるグループのファンであることを、誇りと呼ばずになんと呼べばいいだろう。

楽しいだけでいれなくても、「続ける」ことを選んでくれた(選ぼうとしてくれている、の段階なのかな)SMAP。
わたしにとって、彼らのファンであるという事実は、大きな誇りだ。
同じように、わたしをはじめ、多くのファンにとっての笑顔の理由が彼らであるという事実が、彼らにとって誇りであるようにと願う。

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