見出し画像

世界に一つだけの花

この曲が発売された頃、わたしは小学生だった。当時の担任教師は「この曲は現代の讃美歌だと思う」と言っていた(キリスト教系の小学校に通っていました)。当時は「何言ってんだこいつ」と思っていたけど、今にして思えば、彼の言っていたことはあながち間違いでもなかったかもしれない。

宗教改革を行ったルターは、讃美歌に"わかりやすさ"を求めた。音楽好きの彼が愛したのは、プロの聖歌隊にしか歌えないテクニカルな曲ではなく、誰もが歌えるような単純な曲。旋律に乗せられる詞も、それまでのラテン語ではなく、一般大衆の母語であるドイツ語詞の曲が数多く作られた。

讃美歌とポップスとでは、音の並びも歌詞の付き方も何もかも違う。だけど、ルターの讃美歌と「世界に一つだけの花」は"誰もが歌える"そして"誰もに伝わる"という点で共通している。

「世界に一つだけの花」の旋律は、数回聴いたら誰でも口ずさめるくらい単純なものだ。だから、ちょっと聴いただけで強烈に耳に残る。そして、そこに乗る歌詞は一見すると"なんてことない"言葉。<花屋の店先に並んだ いろんな花をみていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね>なんて、日常の一コマをそのまま切り取ったようで、別段ドラマ性のない詞である。だけど、だからこそ、これだけ多くの人の共感を得たのだと思っている。大事なことって多分なんでもない日常にこそ潜んでいて、そこに小難しい言葉なんて必要ない。そう気付くきっかけをくれるのがこの曲だ。ルターの讃美歌との共通点はともかくとして(笑)、担任教師はおそらく、その歌詞ゆえにこの曲を"現代の讃美歌"と称したのだろう。

<No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one>というフレーズは、すでに慣用句と言っても過言でないくらい、誰もが知っている。あまりにもよく耳にするから、もしかしたらその意味が薄れてしまってるんじゃないかと思うこともあるくらい。

今さら、SMAPがなくなったからってこの曲の価値や意味が変わることはないだろう。きっとこの曲はとっくに、後世に歌い継がれる名曲になっている。それでもわたしは、SMAPが歌う「世界に一つだけの花」を聴き続けたい。心なしかいつもよりも優しい声で、一つ一つの言葉を伝えるように歌う「世界に一つだけの花」を、ずっとずっと聴いていたい。CDの中の彼らの声だけじゃなくて、その時々の"いま"のSMAPの声で、これからもずっと。

「世界に一つだけの花」が現代の讃美歌なら、メッセージ性の強いこの曲を歌い続けるSMAPは"伝道師"とでもいったところだろうか。まだまだ、彼らにしか伝えられないことはたくさんある。これからも、たくさんの笑顔と幸せを伝えてくれるはずだと信じてやまない。


わたしが小学生の時にはじめて自分で再生したCDが、「世界に一つだけの花」のシングルだった(母が買ったCDを、学校で流したくて借りた)。「巻き戻し方法が分からないんだけど」と半べそになって聞いたら母に笑われ、その時初めて、カセットテープと違ってCDには巻き戻しが不要だと知ったのを覚えている。CDって便利だなーと感動した思い出。あれから13年、自分のお金でこのCDを購入する日が来るとは思わなかった。大事な大事な曲です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?