見出し画像

何度でも現れる

楽に生きたいという気持ち。

楽に生きるとはそもそも何か。人それぞれだとは思うけど、わたしの今この瞬間自分の中での定義は「常に何の生産性もないぼやーーっとした時間を過ごすこと」。
仕事のこととか家事のこととか何も考えずに、あてもなくロフトやハンズの店内をうろうろしたり、本屋で面白そうな本を探すこと。ごろごろダラダラとマンガを読んだりするのもいい。

ただまあ、わたしの場合「何かを成し得たい!」とか「どうして生きているのかしら……」とか色々考えている時点で、自分が定義する「楽に生きる」ことは難し目だなと思う。

頭を働かせたい!とか、アドレナリン大量に出るような修羅場的な状況を味わいたい!みたいな波がそれなりの頻度でやって来ることを考えると、少なくとも、四六時中楽に生きたいモードでいることは無理そう。

追い込まれないと集中できない自分の性質とか、神出鬼没なやる気スイッチを常に自分の手元に置いておきたいんだぜ!という気持ち、そう、その気持ちはあるのだ。

気持ちは、あるんだ、がしかし。はあ。

ここ半年弱は本当に体調もメンタルも動きが激しいから、4月になったし立て直したいと思うのだけれどね。春ってフワフワする季節でもあるし、それでまた落ち着かなかったりするのよね、難儀なものだわ。

悩みをこねくり回すことを、どこかで楽しんでいる自分をぼんやり見ながら、やる気スイッチをまたきっと明日も探すんだろうな。
ほんと、いつまで経っても終わらぬ。何かをクリアしたら次のレベルのやつが現れるんだもの。

でも、その追いかけっこがなくなったら、わたしにはつまらない人生なんだろうな。
なんで生きるのか、みたいな哲学的なことを考えずに生きられたらもっと楽にダラダラできただろうになぁ。わたしは答えのない道を行こうとする人間として生まれてしまったから、これはまあ仕方ないのかなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?