例のウイルスで色々滅茶苦茶にされた新大学一年が思うことを書く
noteを始めたい。
去年の冬、浪人をしていた私は受験が近づくプレッシャーでもう気がくるってどうにかなってしまいそうな中(実際理由もないのに吐いたりした。まじで人間てストレスで吐けるんだと思った。)漠然とこんなことを考えていた。
その時は何故だか分からなかったが、とにかく「noteを始めたい」というよくわからない強い願望を抱いていた。
今思えばあまりのプレッシャーや、日々勉強(言わばインプット)しかしていない反動でどこかしらになにかしらを吐き出したい、書きなぐりたい衝動があったのかもしれない。いや、あった。あったわ。とにかく自分の中の何かをアウトプットしたかった。
創作意欲の発生の仕方としては自分で振り返ってみても大分荒々しいと思う。
そして受験が終わる。長かった受験期間。現役から浪人にかけて大体一年と10か月ぐらい。日々自分の気分を陰鬱にさせ、歩くときの視線でさえも地面へと追いやった切迫感から解放された。あと大学受かった。
さらっと書いたが最早「大学に受かった」という事実より「受験が終わった」時の方が何倍も嬉しかった。今まで自分を締め付けていたものから解放されたのだ。陸にあげられた深海魚みたいなもんである。自分の輪郭が曖昧になるような感覚にさえ陥り、そのたびに歓喜の咆哮をあげた。端から見たら近づきたくない完全にただのヤバい人。それが受験終了直後の私だった。
欲しかったNintendo switchとポケモンを買って家に引きこもり、受験が終わってから一週間ほど睡眠とゲームを繰り返し、怠惰の限りを貪った私は「そろそろ外に遊びに行くか」と友人に誘われていた「受験お疲れ様会」に参加しようとしてたそのタイミング。
ちょうどそのタイミング。
お察しの通り例のウイルスが世間を賑わせ始めた。
受験勉強の最中、世間の様子なんて全く気にも留めてなかった私はここで初めてそのウイルスの情報をスマホ片手に集め始めることとなる。(本当に名前ぐらいしか聞いたことなかった。)
ちょうどその頃は「緊急事態宣言」なるものを発令するかどうかで揉めているところだった。
なにこれ、とんでもないことになってるじゃん。俺が受験で世間との接続を絶っていた間にとんでもないことになってるじゃんて。
今からようやっと多少遊べるんじゃなかったのかって。ずっとやってみたかったキャンプとか、あと友達と山梨まで行く約束とか、あと普通に買い物行ったりとか、あと……バンジージャンプとか。ねぇ。
おい!!!何とか言えよ!!!!
こっちはずっと塾と家との往復しかしてなかったんだぞ!!!!
世間の人たちがどんだけラグビーワールドカップやらクリスマスやら正月やらで盛り上がっていても毎日、河合塾通ってたんだぞ!!!!!!
それも自粛の一種じゃんて!!!!!!違う!!!!???なんで自粛期間が俺(を含む全国の浪人生)だけ特別長くなってんのって!!!!!!
あーあ!!!!!あーーーーーーあ!!!!!!!!!!
ただ既に「そんな我儘を言っていても許される」段階ではないという事は、未だ世間との温度差を感じていた私にもわかった。
腑に落ちねぇ。あつまれどうぶつの森でも買うか。
以降、私は「あつ森」と「ポケモン」と「少しの読書」と「多量の睡眠」を延々と繰り返すだけの廃人に成り下がることになったのは言うまでもない。
あと大学の講義開始が延期した。(そして5月あたりからしばらくオンラインで講義を行うことも通告された)
だから大体二か月ぐらい暇だった。暇すぎてスイーツを作りまくったり、段ボールでちょっとした小屋を工作したり、「あつ森」の影響で近所の公園まで虫取りしに行ったりした。(ちゃんと人がいない時間、場所に行きました。人どころか虫までいませんでした。)
暇すぎる。狭い自室の真っ白な壁紙も、もう見飽きた。
暇であればあるほど「何かを充実させなきゃ」と思うがこの環境で出来ることは限られすぎていた。少しの本を読んで何とか自分のことを肯定しながら日々をただ漫然と過ごし、ただ糞尿をまき散らす。ただの糞尿生成機。
この場合の「生成」は「精製」の方が適切なんだろうか。「糞尿精製機」の方が日本語としては正しいのだろうか。なんとなく後者のほうが正しい気がする。だがどうでもいいから調べる気にはならない。
ともかくそんな日々を過ごしている中で、いろんな意欲を削がれた。
「受験が終わったらやりたい事」なんて両手じゃ数えきれないほどあったはずだが、どれもこれもかつての情熱は色褪せつつあった。(やりたかった事が殆どアウトドアな事だったのも原因だ。)
「noteを始めたい」という願望もいつしか風化してしまっていた。
そうして暇に暇を重ねているうちに、いよいよ大学の講義が始まることとなった。
noteを始めたい。
二回目の強い衝動。いつしか忘れていた切望が再び頭をもたげたのは、大学の講義が始まってちょっと経った頃、要するに今だった。話は一か月前まで遡る。
いよいよ大学の講義が始まる。ずっとコンテンツ不足だった毎日に、やっと「大学の講義」というこれ以上なく奥深い重厚なコンテンツがこれから付与されるのだ。
この特権は勿論、私が受験勉強を頑張った報酬である。
多くの期待と一抹の不安、その両方を胸中に抱きながらその日を待っていた私に突き付けられたのは、今まで見たことがないくらいの大量の「資料」だった。
いや、ごめん。舐めてた。正直舐めてた。大学の履修登録なんて30分くらいで簡単に済ませられると思ってた。
にしてもひどくない?不親切すぎない?
これ平時なら「履修のためのガイダンス」みたいな時間が新入生に設けられて、ちゃんと教えてくれたりアドバイスしてくれたりするもんなんじゃないの? 生徒に書類押し付けて一任て。
あとなんで大学の情報サイトが5つのサイトでそれぞれ独立してんだよ。何でもうちょっと数減らせないの?何でそれぞれ書いてること全く違くてどれも重要なの?
あとさらっと「わかりますよね?」みたいな感じで「シラバス」とか「専門科目」とか「自分の学生IDを利用した大学専用サイト(しかも3つある)の名前」とかの言葉を使わないで欲しい。大学専用サイトありすぎ。予想通りそれぞれのサイトで出来ること違うし。
ということは「大学の情報サイト」と「個人の大学専用サイト」が合わせて8個あるということになる。いい加減にしてほしい。
言いたいこと(主に不満)はまだまだ沢山あったが、例のウイルスに苦しめられているのは当然私だけではない。ふとニュースアプリを開けば大量のネガティブな情報が私を飲み込んだ。要約してしまえば「大学の資料が多くてめんどくさい」という私の苦悩なんて可愛いものだった。
グチグチ言っててもしょうがない。今私のやるべきことは、粛々とこの資料を咀嚼し、飲み込むことなんだ、と自分にきつく言い聞かせ、マーカー片手に一週間かけて何とか資料を読み進め、消化をし、パソコンの見過ぎでチカチカする頭を左手で抑えながら、なんとか履修登録をした。
(途中大学側のミスで必修科目が登録出来ず、大学始まってもないのに留年が確定しそうだったときはさすがに爆発しかけた)
(これは余談だが、私の想像していた大学の時間割とは違って、法学部は週のほとんどの講義が必修科目で占められ、自分の好きな科目を取れる余地は2~3コマしかなかった。いろんな学問分野に触れてみたかった私の願望を塗りつぶすかのように、私の時間割は「法」一色で染まることとなった。)
そんなこんな、なんやかんやで大学の講義(オンライン)が始まることになる。
やっとだ。やっとだよ。ここまで長かった。
あの憎き膨大な資料をクローゼットの奥底にしまい込み、胸を高鳴らせながら大学の講義に出席した私に待ち受けていたのは、またしても大量の「資料」だった。
「オンラインなら講義をする気はない」と毎回大量の講義資料をPDFで配布し課題を提出するよう求める教授。
「オンラインだから成績の評価方法を課題に集中させる」と大量の課題を出す教授。
「自宅待機から暇でしょ」といきなり二冊の分厚い本を指定図書とし、レポート形式で課題を提出するよう求める教授。
課題、課題、課題、そして、課題。
課題を終わらせては課題が課され、課題を課されては、課題を終わらせる。なんだこれ。忙しすぎるし、際限がない。
かつて一度やったことがある、ドラッグストアの出荷工場での倉庫バイトを思い出した。
ベルトコンベアーから流れてくる重い重い段ボールを延々と地域ごとに仕分ける作業。(一日に飲料水を3t運ばされた、一人で。)運んでも運んでも、無慈悲なベルトコンベアーが無機質な音を発しながら、段ボールを自分の目の前に積んでいくあの光景。あれと大体一緒だ、今の状況。
あの時にもこみ上げた乾いた笑い声が再び私の口から漏れた。
パソコンを凝視していた私は目に疲れを感じ、ふと周りを見渡してみる。目に入るのは狭い自室の真っ白な壁紙。その壁紙をスクリーンにするように、浪人時代に考えていた「大学に入ったらやりたかったこと」が投射された。
広大な自然の中、焚火をしながらぼーっとする自分。
目の前に広がる絶景に頬を染めながら、ゆっくりと温泉に浸かる自分。
ヘルメット越しの視界のなか、目的地もなくツーリングをする自分。
大学の広い講義室で、難しい顔をしながらノートを取る自分。
大学の図書館で文献を参照しながら、レポートに苦戦する自分。
友人たちと高笑いしながらTRPGに興じる自分。
久しぶりに再会した仲間と、スタジオの鏡の前でダンスをする自分。
脈絡もなくそんなことが浮かんでは消えていく。
ふと意識を戻したら、教授の声を電子変換し続ける私の薄鈍色のノートパソコンが存在感を主張した。
ああ、思い出した。noteを始めたい。
インプットだらけの生活のどこかに、アウトプットをする場が欲しい。
狭まった自分の世界の壁を穿つような、そんな発信の場が欲しい。
いつか貰えるように頑張ります。