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正しい日本語:遠回りな丁寧

 「#note感想文」としてこれを記す。私の「#note感想文」は基本的にnoteに対する批判だ。ここで勘違いしてほしくないことがある。往々にして「批判」は罵倒や中傷と同義に扱われる。そうではない。良い所も悪い所も評価して、考えを発展させることこそが批判なのだ。自分や他の誰かの生き方を発展させる批判をしていきたい。一応、批判に対する私の考え方を以下に記してある。


 さて、早速だが本題に入ろう。今回私が批判するのはこちらだ。

 我々が日常的に使っている日本語。その中で違和感のあるものを「言葉狩り」と称してとらえている。この言語に対する違和感というものは非常に大切な感覚である。以下に示すnoteでも述べたが、言語の違和感によってその表現に対する社会の浸透度合いを考えることが出来る。また、日常言語に対する正しさの感覚があるからこそ、共通の言語を話すことが出来る。そうして我々は他人とコミュニケーションがとれ、人間社会を築くことができるのだ。とはいうものの、違和感の有無に関わらず、存在している全ての言語表現は生じた合理的な理由がある。そのため、全ての言語表現は正しい。これが私のスタンスだ。

 さて、この「言葉狩り」は「やっていこうと思います」「そうだったんですね」「〇周年」の三つで構成されている。今回は「やっていこうと思います」について批判していきたい。

 YouTuberが動画内で企画の説明をするとき、「〇〇をやっていこうと思います。」と表現することがある。これについて筆者は、「〇〇やっていこうと思います」ではなく、「〇〇をやります」で良いのではと指摘している。どうせ実行して、すでに動画にしているから「やります」と言い切ってしまった方がいいということだ。また、「思います」をつける意味について、「なんとなく丁寧になる気がするのはわからなくもないですが、丁寧にしようとして間違えちゃった感が否めない。」と述べている。丁寧にしようとして、丁寧にするために必要のない「思います」をつけてしまったことに違和感を覚えているようだ。この、丁寧という感覚が非常に大事な大事な鍵となる。非常に優れた気づきである。

 ではここで、敬語にする以外で、丁寧な表現を表す日本語について考えていきたい。その一つにわざわざ遠回しに表現するというものがある。例えば、「○○してください」の代わりに「○○していただけませんか」ということがある。わざわざ依頼を疑問形にすることで、丁寧さを表しているといえる。これはただ相手に選択の余地があるから疑問形にしているのでは?と思うかもしれないが、他にも「○○していただけたら幸いです」というように、依頼なのにわざわざ「幸いです」と必要もない感情を付け加えていることがわかる。

 また、クッション言葉という単語を聞いたことがある人もいるだろう。「差支えなければ」「ご面倒でなければ」「私どもの説明不足だったかもしれませんが」などのようなものだ。これらの本題は大抵拒否権のないお願いだ。こう言いたい、ああしてほしい、をストレートに言い切ってしまえばいいものをわざわざ遠回しに言っていることがうかがえる。遠回し表現が丁寧を生み出すのだ。「〇〇をやっていこうと思います」にも同じことが言えるのではないか。

 「〇〇をやります」と言い切ってしまうのではなく、「○○をやっていこうと思います」と、遠回しに言うことで丁寧さを表現している。具体的な行動の宣言ではなく、あくまでも思うこととして遠回りすることで丁寧な表現としているといえる。依頼のときの「幸いです」と同じ仕組みだ。したがって、日本語の敬意表現の規則として正しい表現であるといえる。しかし、筆者のように違和感を覚える人もいる。これは、日本語表現としての浸透度が完全ではないことを示している。

 ついでだが、遠回しの表現で丁寧を表す表現が他にもある。その中には「バイト敬語」などと言われ、マナー講師の金づるにされている表現がある。

 まず「よろしかったでしょうか」という表現である。これは、「よろしいでしょうか」と現在の意思を訪ねているのにもかかわらず、過去形で訪ねているものだ。これも確かにわざわざ過去形にする必要はない。しかし、わざわざ現在から過去に遠回りして尋ねることで丁寧さを付与しているといえる。これも正しい日本語表現だろう。

 次に「ご注文の方は~」などのように「方」をつける表現だ。「方」の用法は主に二つだ。一つ目は比較である。「AよりBの方が好きだ」のような使い方だ。二つ目は、ぼかしである。出身地を聞かれて「名古屋の方からきました(三重県出身)」のような使い方だ。この二つ目の用法が転じて、「ご注文の方」とぼかすように遠回りで訪ねることで丁寧さを付与しているといえる。やはり正しい。

 最後に、「○○円からお預かりします」といった表現だ。これだと「〇〇円」から何かを預かるという意味になってしまうように思える。しかし、客から「○○円」を預かるのではなく、客の「○○円」から何かを預かるという遠回りをして丁寧さをあらわしているといえる。やっぱり正しい表現だ。

 これら三つも、遠回しに伝えることで丁寧さを伝えるという、正しい日本語だ。何も問題はない。これらの表現を否定するのにクッション言葉や、遠回しに丁寧を伝えること等を否定しないのは矛盾しているのではないだろうか。とはいえ、違和感というのは大事な感覚なので捨てると大変なことになる。塩梅が難しい感覚だ。

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りらっくまーち

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