「みんな」に含まれていない

 確か高校2年生の頃の話
 
 僕の通っていた高校は私服校で髪の色も自由だったりしてイケイケの人たちが多かった。髪がオレンジ、ピンク、緑など僕の感性とは真逆の人達の中で過ごしていた。みんなオシャレを決め込んでいて、年中ジャージの僕からしたら170cmの日本人がNBAに挑戦しているような感覚でずっと通っていた。

 10/31ハロウィンの日、やはりみんな仮装をする。チャイナドレスを着る奴、ゾンビの仮装をする奴、魔法使いの仮装をする奴などみんな各々の仮装をしていた。
 もちろん僕は仮装などしない。いつも教室の隅っこで仲良くしていた2人といつも通りのジャージでゆっくり過ごしていた。他にも仮装をしていない人は数人いた。彼等は自分だけの世界があり「仮装なんて下らない」という精神で仮装をしていなかった。僕と一緒にいた隅っこのあと2人もそうだ。
 僕は違った。めちゃくちゃ仮装したかった。でも自分如きが仮装をしても変な空気になるに決まっている。そう思って仮装をしなかった。仮装をしたくないで仮装をしなかった人と本当はみんなの輪の中に入りたいけど仮装ができなかった僕では大きな違いがある。

 その日の写真がクラスのグループLINEに送られてきた。クラスの中心にいたサッカー部が「今日はみんなのおかげで楽しかった!ありがとう!」

 僕は「みんな」に含まれていないとそこで気づいた。サッカー部の彼からすれば仮装をした人達が「みんな」で、していない人のことなんて全く頭の中にないのだろう。それが悲しかった。でも何度人生をやり直しても僕は仮装しなかったと思う。
 何度やり直しても、いつも通りのジャージを着て、何かチャンスがあればいつでもフレディマーキュリーになれるようにジャージの下にランニングを着て、結局ジャージを脱ぐことなく終わるんだろうなぁ。

 他にも「みんな」に含まれていない経験が僕は多い。大学に通っていた頃、12人の実験班で僕以外でご飯に行っていたり、サークルの仲が良かった4人のうち僕以外の3人で旅行に行く計画を立てていたり。僕は「みんな」の中に含まれていない人間なんだ。

 でもこれは「みんな」という言葉が悪い。全員ではないがある程度そこにいる人達、みたいな。曖昧な表現だから僕みたいに「みんな」から外れる人ができてしまうんだ。自分でそれぞれ範囲を決めて「みんな」って言ってる筈なのに、例えば僕が前述したようなことを訴えても、「いや、お前も入れてるつもりだった」で片付けられ僕は被害妄想になってしまう。ずるい言葉なんだ。使わないほうがいい言葉なんだ。

 これを読んでいるみんなは使わないだろうけど。

 

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