SNSに疲れてくる

 思えばSNSとの付き合いも長くなった。

 数多の(古の?)インターネット・オタクたちと同様に、最初に見つけた「溜まり場」は匿名掲示板だった。ふたば、2ちゃん、その他。基本的に何を言ってもいい場ではあるが、それぞれに有形無形のルールはあった。
 特によく利用していたのは2ちゃんねるのいわゆる「VIP」で、ニュー速(ニュース速報)というジャンルの1つでありながら誰もニュースなど求めておらず、日夜よくわからないスレッドが乱立する、存在意義もよくわからない掲示板だ。その何でもアリっぷり、面白ければ何でもいいじゃんと言わんばかりのカオスな様相に魅力があった。問題もめちゃくちゃあったけど……。

 VIPでは主に、ブーン系小説と呼ばれる小説群を読んだり書いたりしていた。この時代を詳しく書くと無限に長くなってしまうので割愛させていただくが、最初のSNSとして2009年頃にTwitterを始めたときはブーン系関連の人のみと交流していたので、まあ、きっかけは匿名掲示板からの流入ということになる。そういうノリがあった。周囲の人も似たような感じだったと思う。

 この頃は良かった、と言うと懐古厨とか老害とか言われてしまうので避けたいが(被害妄想)、当時のTwitterはゆるい雰囲気で好きだった。引用RTはもちろん、そもそもRT機能はなかったし(非公式RTという古の文化が懐かしい)、ツイートに寄せられた「ふぁぼ」(今の「いいね」)の数も外部サービスを使わなければ確認できなかった。フォロワー数という尺度はあったので、相互フォローをするためだけのよくわからない集団が勃興したりもした。

 その後、mixi、Facebook、instagramと一通り手を出して、mixi以外は一応今もアカウントを維持している。mixiだけは完全に廃れた。あれはなぜダメになったんだろうね。やっぱりブログからの派生という意識が強すぎたんだろうか。

 Facebookはかなり早いうちから「これはキツいな」と思うようになった。意識高い系の話題は別に気にならず、海外の人ともそこそこ気軽に交流できる良さがあったけど、とにかくUIや機能のわかりにくさ、クソさが目立ちすぎた。アップデートという名の改悪がされ続け、もはや知り合いの投稿をどこで確認したらいいのかもよくわからない。そもそも知り合いの投稿自体がめっきり少なくなったので、俺が何か投稿して反応がもらえるとびっくりする。

 instagramは「映え」という言葉が世に出回る前に飽きてしまった。写真を気軽に加工して投稿できるという1点のみが気に入っていて、全体的にシンプルな使用感が心地よかった。instagramのみを連絡先としているブリーダーも多かったので、必要に迫られて使うシーンもあったと思う。これも知り合いの投稿は少なくなったが、継続して使っている人はFacebookより多い。

 Twitterは……なんか……言うに及ばずって感じです。終わりそうでなかなか終わらない。死ぬなら派手に爆死してほしいと願っている。


 特に人間関係が悪いとかはなくて(そもそもSNSで人間と関係を築いていないだけではあるが)、広告の多さや「おすすめ」の多さにもうだいぶ疲れてしまった。どのSNSも、知人の投稿の前に知らん人のバズった知らん投稿を読まされる。そういうのが全く不要というわけではないけど、自分で探しに行くから、勝手に目の前に出てこないでくれ。

 まあ、サービスを維持するために広告を挟むのは理解できる。ユーザーが増えるほど広告も増やしていかざるを得ないだろう。金払えば広告消しますよというのも合理的ではある。俺は絶対に払わないけども。
 ただ、「おすすめ」だけは……これだけはやめてくれ。狂いそうになる。


 よくよく考えると、俺がどうして「おすすめ」に嫌悪を感じるのかはわからない。テレビだってCMが挟まるし、観たい番組が放映されている時間の方が短くて、基本的には別に観たくもない映像が流れている。いや、もうテレビも一切見なくなって数年になるんだけども、多感な時期をテレビと共に過ごした人間にとって、それほど受け入れがたい文化であるとは思い難い。

 2023年の抱負はこれにしようかな。俺はどうして「おすすめ」が嫌いなのか、自己分析と言語化を試みる。しょーもなさすぎる?

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