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あなたと私の境界線

人はいつも自分の大切な人ほど、
近ければ近い人のことほど
「きっとこう思っているだろう」
「きっとこうしてあげたら喜ぶだろう」
と勝手に考えてしまいがちだ。

時には
「私はこの人のことを誰よりもわかっている」
と感じてしまうこともあるだろう。
それは親子、夫婦、パートナー、
いろんな関係で起こりうる。

でもきっとそれはとんだ勘違いで思い上がりだ。
本当の意味で自分とは違う誰かの気持ちを
わかることはできない。

彼の背中にそっと見える孤独や後悔も
ふと優しそうに笑った先に見えている景色も
その肩にのしかかる重圧や責任も

きっとこうだろう。

と思いを馳せることはできても
本当の意味では見えないし。
私が「見えている」と思っているそのものすら
存在しているかもわからない。

大切になればなるほど境界線を消したくなるし、
もっともっと理解していたい、してほしい 
と思うが、

彼の全てを私がわからないのと同じように

私の心の隅っこに残るしこりも
ふと夜中に思い出して泣きたくなる思い出も
こっそり彼の横顔を眺めながら思う気持ちも

きっと彼は気づいていないだろうと思う。

それでも、だからこそ。

一緒に過ごす時間の中で
心震える瞬間を一緒に過ごした時
ふと横を見て 
その横顔に私の心の震えと同じ震えが見えた時や
自分が言おうと思った言葉が
彼の口から出た時には、

これ以上の幸せはないと感じられる。

全ての気持ちを共有できなくとも
少なくともこの瞬間は 
きっと同じ心の震えを感じているのだろう。
私が言おうと思った言葉が彼に奪われてしまった。

そう思える瞬間が愛おしく、貴重だ。

その瞬間をかきあつめる時間は
幸せなことにまだまだきっとありそうだ。
だから、境界線を消そうなんてする必要はなくて
境界線を見つめながらも、
同じ心の震えを感じる瞬間を
楽しみにしていればいい

そして、何か2人の中で対立することが
起きた時には
必要以上に悲しむ必要はないのだと思う。

境界線は各自にあって、
そこは消すべきものではないから。

「あなたのためを思って」
「きっとこうだと思って」

そんな言葉でその境界線を消そうとしたり、
乗り越えようとする時には
それは親子関係でも友人関係であっても
このことをちゃんと思い出すべきなのだと思う。

そして その境界線こそが
自分にはない
その人の個性と素晴らしさを
示してるのかもしれないと
わくわくして眺めても
いいのかもしれないと思っている。


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