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山登り人生vol102河鹿沢本谷

28歳。長女3歳、長男1歳。
昭和52年度は黒髪づくし龍門づくし、この山行を振り返ります。

No212河鹿沢本谷


昭和52年6月19日
M社長、T先生、S、Mに私
Y会長宅8:00⇒竜門ダム河鹿沢出合9:25→河鹿大滝10:50→登山道11:10→最後の滝上11:50→青牧山12:30→14:30竜門山の家15:00→モミジ沢本谷→大滝(登れず引き返す)→右俣へ→沢終了→登山道→16:30竜門山の家
私の山日記にはメンバーとタイムのみ記述はない。

S作成の河鹿沢概念図

Sの報告より

8時に会長宅をM社長の車で出発する。
T先生は寝ずに考案した改良地下足袋を試すべく自慢げに乗り込む。
山の家駐車場に車を止め、河鹿沢に向かう。
沢に入って暫くは、ナメ状で小滝が連続し、
素晴らしいとの声が聞こえてくる。
途中よりヒノキ伐採のため両岸の木が切られ、
これが沢を覆いがっかりする。
こんな所での河鹿大滝は感激も沸かず、
これを巻いて上に出ると登山道にぶつかった。
登山道を横切り30m程登ると最後の滝15mに出る。
MとM社長がザイルを組みこの滝を登るので、
残りの3名は別の小滝5mを登り沢が終了した。
このまま谷を詰め青牧山へ直登する。

Mの報告より

黒髪山系の地域研究が課題となり、先週に続いての入山である。
竜門ダムもすっかり完成し道路も良くなっている。
ダムの奥には西有田町営山の家が新築され、キャンプ場やバンガロー等の設備も整備されつつある。
管理人の川久保さんは50歳に近い大柄でスマートな人である。
山の家でお茶を御馳走になった。

現在の竜門山の家。基本当時と変わらず。

河鹿橋があるので河鹿沢と名付け沢を詰め、青牧山に直登することにする。地下足袋にワラジを付け沢に入る。
なるべく沢芯を登ると滑ってポットポールへ腰までつかる。
M社長、T先生とSがニコニコと喜んでいる。
先週はSが滑ったらしいが、次は誰かな?
10分程進むと関門のように両岸の岩が迫ってくる。
河鹿沢関門と名付ける。
Sさんが熱心にタイムと距離を記録している。
関門より上部に登ると伐採された樹木が横切り、沢を塞いでいる。
最初の左俣を過ぎたルンゼでは、一層ひどく伐採され縦横無尽の樹木の上を這い伝いながら進まなければならず、多少うんざりする。
暫くして抜け最上部付近で10mの落差がある逆層の大滝にぶつかる。
河鹿大滝と名付ける。
大滝を左に巻くと先週の山道に出た。
山道より上部に落差7~8mの滝が三つ並んでいる。
右の滝はルンゼ状になって水量も多い。
T先生とS・F(私)が取り付く。MはM社長と左の滝を登った。
登攀を終えると沢も終了した。

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