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山登り人生vol131想い出すままに

昭和53年度、20代最後の年を振り返っています。
創立25周年記念祝賀会が竜門山の家で盛大に開催され
OBから昔話の記事が寄せられました。
私の山行から離れ昔話を紹介・投稿します。

想い出すままに OB・・K氏

創立25周年記念にあたり「山なみ24号」への寄稿文を紹介します。
昭和15~23年頃のお話です。
 
(前略)
さて、私事で恐縮ですが、
山旅の楽しさに取り付かれたのが昭和15年8月、
軍隊あがりの先輩にしごかれながら、
2泊3日の九重(久住・大船)行からでした。
日支事変から第二次世界大戦へと戦局が拡大するにつれ、
物資・食糧難と戦いながらの山旅は決して十分とは言えないものの、
なんとかヤリクリしながら歩き続けました。
間もなく軍隊に入り、
それでも山を忘れることができず、
暫くすると兵営(鹿児島市)から近い桜島や開聞岳など山々に外泊許可を貰って歩いたのも一つの想い出となっています。

2020年1月の開聞岳

お陰様でその後、
中国戦線に駆り出されても
足だけは人並みに強くなっていたので、
落伍もせず生き延びて故郷の土を踏むことができました。

戦後再び元の職場に復帰。
初心に還り懐かしい法華院の温泉に浸かりながら将来を考えました。

タイトル写真再掲。1972年2月の法華院温泉

これからの生活や若者の考え方、そして今後の山旅のことなど、
オヤジさん(法華院主人 弘蔵孟夫(故人))に話を伺いながら、
戦野でガラガラになっている自分の気持ちを和らげようと懸命でした。
近くの山を気が狂ったように歩き始めました。
昭和23年になって、勤める会社にも山岳部が設立されて、
自身これで区切りがついた気持ちになり、
職場の仲間同士で小グループをまとめながらスタートし、
近くの山歩きから始めました。
徐々にペースを上げ旧制五高山岳部や、
この頃入社した九大OB中島氏などのアドバイスにより
阿蘇高岳北尾根にも足を踏み入れることになりました。(後略)

2011年5月仙酔尾根からの高岳北尾根

昭和15~23年頃のお話を投稿しました。
 

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