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山登り人生VOL281大崩山ピークハント

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。
私36歳。奥様35歳、長女11歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。

4∼5月のゴールデンウィーク会の活動は、
脊梁の国見岳、根子岳、宮崎県北部の岩場(比叡・鉾岳・大崩山)、屋久島、石鎚山にと縦走・岩登りと活発でした。
仕事に追われていた私はM君の計画にのり大崩山系のピークハントに出掛けました。 

No398鹿納山∼大崩山∼五葉岳∼お姫山

昭和60年5月2∼5日
M学校事務官、K君、海自S女史と私

2日佐世保19:15⇒
3日(赤色線)2:10上鹿川今村8:15⇒木戸ノ元橋9:15→林道終点1,020m→
  林道を1時間歩く(日隠山への登路分からず方向転換)→尾根を藪漕ぎ
  →鹿納山13:25→権七小屋谷分岐13:35→中瀬松谷出合14:25→石塚15:55→
  大崩山16:15→林道終点へ下る尾根→終点18:00⇒18:35今村
4日(黄色線)今村7:05⇒延岡⇒祝子川⇒登山口9:50→三里河原11:50→瀬戸口谷
  →夏木山登山口12:50→お姫山→五葉岳14:40→お姫山15:05→P1545m→
  (一旦戻ってコルより下降)→金山谷15:40→吐野17:15→登山
  18:25⇒18:40渓流荘
5日渓流荘7:40⇒8:50行縢山駐車場9:40⇒矢部12:50⇒佐世保

3日赤線行動、4日黄色線行動。

2日このところ忙しく、
またまた無線QSOにはまり山の計画はたてていない。
M学校事務官の計画にのって車を提供し、大崩山に向かった。
比叡山入口を見落として20km近く先まで行ってしまった。
鹿川渓谷入口の今村に適当な小屋が見つかり、ここに泊まることにした。

 3日、今村から更に林道を登る。ガソリンはゼロを示し気が気ではない。
宇土内谷登山口近くに車を停め、

宇土内谷登山口
34年後、2019年の宇土内谷登山口。ここに止め、奥の方に歩ぎだした。

日隠山に向かって更に林道を歩く。
殆ど水平な林道を約1時間、日隠山への登路は見つからず方向転換し、
日隠山は諦め大崩方面に行くことにした。
鹿納谷へ更に林道は延びている。林道をどんどん詰めて行く。
いよいよ道はなくなり、尾根に向け藪漕ぎとなる。

多分、黄色線を登ったと思われる。

尾根に出ると踏み跡があり、大したこともなく登山道がある稜線に出た。
途中のアクボノツツジが空に映え美しかった。

大崩山からの縦走路を北に暫く歩いて鹿納山へ。

鹿納山。ネットより

途中QSOする。コンパスを失う。
鹿納谷側に下る道が見つからず権七小屋谷に一旦下り、
中瀬松谷を登り直して大崩山に行って鹿川に下ることにした。
少し気は重かったが水の誘惑に負けて、こうしてしまった。
思ったより早く大崩山に着く。ここでもQSO。

車停車地に下る尾根は立派なもので、順調に下り17時頃戻った。
テントを張るのも煩わしく、昨夜の小屋に戻ってお世話になることにした。

 4日祝子川に移動する。
10時頃登山口着。峰車も停まっておりメモを残して出発する。
3回目にして初めて頂きを踏んだが、
今日は更にお姫と五葉を踏むことが出来そうである。
吐野から瀬戸口谷に入ったが、私は完全に勘違いしていた。

三里河原。この先、瀬戸口谷分岐。

15年前、大雨にたたられ引き上げたところが二股と思ったら、
本当はもう少し上部から瀬戸口谷は分かれていた。

単調な沢を詰めるとお姫山に直登してしまった。
地図によると五葉とのコルに出るのだが、少し左寄りになったようだ。
五葉岳まで往復してお姫山を離れる。

五葉岳

西に縦走を続ける。金山谷に下る道を見落とし1,545mピークまで来る。
引返すが、はっきりした道はない。直ぐ藪漕ぎとなる。
20分程で谷に出て、後は順調に下降する。

金山谷

三里河原はその名のような渓谷で、秋はすばらしいだろうと思った。

しかし、時計は17時を過ぎ気は急いていた。
吐野から先は、急いで下る。
森の家には峰夫妻が待っていた。
峰氏ご馳走のビールを飲み山菜定食に舌鼓をうち、
檜風呂で汗を流して、充実した一日を終えた。

 5日8時から車を走らせる。
行縢山に寄って滝まで登って、帰路についた。

※5月15日長男 歯科がんせき包濃。長崎大学医学部で手術

 

 

 

 

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