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日本百名山㏌よっちゃん72座目悪沢岳、73座目赤石岳

全体行程

この山行で2座を踏破しました。
タイトル写真は2016年日本百名山100座目の聖岳から眺めた赤石岳です。

No795悪沢岳~赤石岳 平成16年8月11~15日 2名
8/11 佐世保⇒
8/12 相良牧乃原IC⇒椹島10:30→林道12:30→駒鳥池15;30→16:20千枚小屋8/13 出発5:35→千枚岳6:15→悪沢岳7:45→中岳避難小屋→荒川小屋10:30→分岐11:20→赤石岳13:15→富士見平15:00→15:30赤石小屋
8/14 小屋5:20→椹島8:10⇒寸又峡12:00⇒静岡IC14:30⇒ 
8/15 12:00佐世保

この山行も素晴らしかったに違いありませんが記録なく残念です。
環境関係の職場に異動して2年目、山登りは出来ても記録整理が手薄な時期だったようです。

72座目悪沢岳

新潮文庫 日本百名山 深田久弥著 83悪沢岳(3146米)冒頭に「この山は国土地理院の地図には東岳となっているので、その呼称が普及しつつあるようだが、私たち古い登山者にとっては、どうあっても悪沢岳であらねばならぬ。悪沢という名はそれほど深く私たちの頭に刻みつけられている。
とは言え、この名はそれほど由緒のある歴史的なものではない。初めて悪沢岳が活字で報告されたのは、萩野音松氏の「駿洲田代山奥横断記」(『山岳』第一年三号所載)と題する紀行であった。この白面の一書生が明治三十九年(1906年)九月初旬、大井川上流西股左岸の中腹から悪沢岳を眺めた時のことを、次のように記している。
「たまたま樹間より谷を越えて赤石山脈中に赤く禿げたる一雄峰を望む。この山何と言ふ晃平(案内の猟師)に問へば、この山より出づる渓流の西股に注ぐもの甚だ険悪なれば、これを悪沢と言ふなりと答へしは、頗る口から出任せの言草に似たり。すべてこの辺の山名、河名、地名等、何等徴すべき図書あるなく、これを知る人とても更になく、余はただ大村晃平一人より聞くがままここに記す。」・・・」と記しています。 

12日畑薙第一ダム手前の臨時駐車場に車を停めます。
この先、一般車進入禁止で山小屋利用が条件で㈱東海フォレストの送迎バスに乗ることができます。
行程に影響しますし山小屋利用は歓迎でした。
送迎バスで椹島まで送ってもらい出発します。

6時間近くのアルバイト、今回も車夜走りで睡眠不足はこたえたと思います。大井川を渡って直ぐ急登の始まりです。長い長い尾根登りだったようです。駒鳥池でホットしたでしょう。

山小屋利用は35年間の登山歴で5月白馬岳に続いて2度目です。千枚小屋でゆっくり休みました。富士山も眺めたような。

13日出発。小屋の手前だったのか出発後なのか・・・赤石岳の写真です。

千枚岳から丸山への登り
72座目悪沢岳

悪沢岳山頂からの写真と思いますが、はっきりしません。

73座目赤石山

新潮文庫 日本百名山 深田久弥著 84赤石岳(3120米)冒頭に「日本アルプスというま名称が流布してしまったが、わが国の言葉でいえば、北アルプスは飛騨山系、中央アルプスは木曽山系、南アルプスは赤石山系である。その赤石山系の名の起りの赤石岳である。南アルプスの宗家としての風格を十分にそなえている。
代表的な山であるから、その名は古くから聞こえていた。明治十二年(1879年)内務省地理局の測量班が登頂して、測量標を樹てた。一等三角点が据えられたのは、それから十年後である。その前年陸地測量部が誕生した。今日、私たちの登山に欠くことができない五万分の一の地図は、すでにその頃から仕事が始まっていたのである。・・・」と記しています。

 13日悪沢岳7時45分出発。中岳、前岳、進行方向の写真だと思います。前岳手前から左側に山腹をトラバースしますがお花畑が綺麗でした。部分的には記憶が残っています。

行動中にビールを飲むというのはありません。ただこの小屋では飲んでしまいました。なぜでしょう疑問です。今日登山歴53年ですが行動中のビールはこれっきりです。
そう急な登りでなかった気がしますが大変な登りでした。息が上がってしまいバテバテで山頂に立った気がします。

後記憶にあるのは赤石小屋での泊まり。2階?屋根裏に廻され夜中は暑くて眠れなかったことです。

14日椹島に下り8時10分送迎バスで臨時駐車場に戻り寸又峡に立ち寄り帰路に着きました。

写真も沢山撮ったはずですが見当たらず。小屋写真2点、山頂写真2点はネットより借用させていただきました。
なんとか纏めました。恐縮な投稿になりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回は74座目空木岳、75座目常念岳を投稿予定です。
今回に懲りず覗いていただければ嬉しいです。


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