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山登り人生VOL290地区労主催のハイキング

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。

私36歳。奥様36歳、長女11歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。

結婚式司会もしていただいF先輩から
地区労主催のハイキングを但馬岳で計画しているから協力して
との話があり、その下見と本番に出掛けた。

この頃、山友は登山用品店キャンパーを開店させた。
手伝いと言っては店に出掛けて、ノミニケーションが楽しみとなっていた。

No407但馬岳下見 

昭和60年9月14日 
F先輩、職域山岳部O君と私
地区労ハイキング下見のため、土曜日昼から登る。
春日神社13:30→中通→将冠岳林道入口14:30→但馬岳→ライオンズの森→
鵜渡越→鹿子前16:00 

No409但馬岳(地区労ハイキング)

昭和60年10月20日 21名
春日神社10:20→中通→将冠岳入口→但馬岳→12:00市民の森13:20→鵜渡越→15:00鹿子前入口

市民の森。奥弓張と呼ばれている。国土地理院地図では但馬岳

「西海国立公園指定30周年記念 秋のハイク」と銘打っての地区労主催でハイキングが開催された。
協力依頼を受け、職域山岳部のメンバー二人と一緒に参加した。

参加者は我々を含め21名、のんびりと山を楽しんだ。
一般的には但馬岳と呼んでいる頂には遠藤但馬守が祀られている。

市民の森ではバレーボールを楽しんだりする。
市民の森は、奥弓張と呼ばれている。
国土地理院地図では但馬岳と表記されているが、
「正式には有嶮地岳(ウケンジダケ)と言う。」との新聞報道もあった。

肌寒い一日であった。
それにしても遠くまで見通しが利き、大村湾の最奥部の山々まではっきりと確認できた。残念ながら写真はない。
次は別の機会の平戸方面(遠くに薄っすらと)の展望です。


 

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