見出し画像

山登り人生VOL280多良岳山開き

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。
私36歳。奥様35歳、長女11歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。

ホームグラウンドの黒髪山は昭和58年から山開きが始まりましたが、
多良山系でも黒木登山口での山開きが開催されるようになりました。
昭和60年が最初だったかははっきりしませんが、
ゴールデンウィークの開催で参加しずらかったことは記憶にあります。
最初で最後の山開き参加でした。

子連れ山行が続いていたが、今回は担当なので同行させなかった。 

No397多良岳山開き(4月月例山行を担当)

昭和60年4月21日 
多良岳組:私を含め5名の会員
経ケ岳組:会員4名
見守り組:Y会長
一般23名 会員の家族12名 合計45名 

多良岳組の記録
佐世保8:00⇒9:30黒木9:50→金泉寺12:10→12:30多良岳13:20→金泉寺14:00→15:35黒木

大村山岳会主催の黒木登山口山開きに参加しようと月例山行に取り上げた。市営バス大型1台を貸し切ったので人集めに苦労するが、
会員の協力で赤字にはならない参加者を確保実行できた。
9時からの式には間に合わなかったが、
大村山岳会のご厚意によりテープカット、くす玉割りのセレモニーを再現いただいた。

お神酒をいただき二手に別れ出発。
多良岳組は家族連れが殆どである。
両パーティー無線交信しながら歩調を合わせる。
同じ頃、経ヶ岳、多良岳山頂に立った。

多良岳山頂

汗ばむ陽気で日陰を探しての昼食となった。
金泉寺山の家は管理人が代わってからは、立ち寄ることは少なくなった。
両パーティー、八丁杉で合流して黒木に戻った。

経ヶ岳山頂から多良岳を望む。遠くに雲仙。

Y会長は前日の前夜祭から参加され、
今日は私達の行動を見守っていただいた。
「最後まで見届けないとね。」の言葉には、いつもながら頭が下がる。

 

 

 

 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?