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山登り人生VOL273雲仙子連れで参加

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿になりました。
私35歳。奥様35歳、長女10歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。

昭和59年度の山行は19回、40日と回数は大きく減少しました。
仕事も浦頭引揚げ記念公園募金活動で超忙しかったし、
実父の動脈瘤での久留米大学病院入院、義母のギブス生活、
義父の仕事手伝い100日間と人生でも稀有な時期だった。

海外遠征(ネパールアイランドピーク)や
北ア五竜岳冬山合宿が計画実行されたが
大きな山行からは縁遠くなり、
多良の後は子連れで雲仙へ。1990年噴火前です。 

No390雲仙(1月月例山行)子連れで参加

昭和60年1月20日
Y会長、O会長付運転手、M医師、M社長ほか11名、長男と私、一般6名
佐世保8:10⇒仁田峠11:00→あざみ谷11:30→普賢岳12:10→普賢池13:00→
国見分れ13:45→国見岳14:05→妙見岳14:30→仁田峠15:00⇒
15:30小浜温泉望洋荘16:45⇒19:10佐世保

6時半から準備して長男と二人山に行くことにする。
峰さん担当の月例山行、参加者19名と多い。
車5台に分乗し佐世保駅前を出発。

噴火前概念図

数日来の気温上昇で仁田峠循環道も両側に雪が残っている程度でチェーンも必要とせず予定とおり仁田峠に着く。
駐車場は満車。霧氷見物の人達だろう。
直接妙見岳に向かう会長とOさんと分れあざみ谷へ。
普賢分れからは積雪も十分あり。
先行パーティーが数か所にザイルをフィックスしている。
普賢岳で集合写真を撮り霧氷沢を経て普賢池へ。

今はない普賢池

霧氷沢には全く霧氷は付いていなかったが、池は完全に凍結していた。
池の縁石に座って昼食。池の周りはまるで運動会のような賑やかさ。
ザイルで綱引きをして遊んでいる。

鳩穴は省略し鬼人谷を経て国見分れへ登り返す。国見岳は空身で往復する。山頂から見下ろす斜面の霧氷が美しい。

15時仁田峠、会長を随分と待たせたようだ。全員で望洋荘に行き汗を流し帰路についた。

       

 

 

 

 

 

 

 

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