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1992年版九州百名山㏌よっちゃん14座目大船山、15座目黒岳

九州の代表的な山々が続きます。九州の岳人なら誰しも最初に目指す山です。同じ九重山系の久住山や三俣山登山の一年後に登りました。九重山系にはこれまでに80回登っています。うち大船山には17回、黒岳には8回でした。Noは山行ナンバーで1969年9月23日からの通り番号です。

14座目大船山 

大船山

1回目No33久住山~大船山~黒岳 昭和45年12月30日~1月2日 7名
12/30 長者原→雨ガ池越→坊がツル(幕営)
12/31 BC→久住山→白口谷→BC
01/01 BC→大船山→黒岳→平冶岳→BC
01/02 BC→すがもり越→長者原

SAC仲間であるが企業山岳部の行事として北アルプス冬山に向かう人達に羨望の気持ちを持ちながら、いつの日にかとの思いで登った山行です。

2回目の山行が強烈に記憶に残っています。といっても断片的になりましたが.。49年前ですし。

2回目No78思い出の久住山・大船山  昭和47年2月10~13日 

本隊:6名 別隊:会長他2名                      11日 牧の戸峠→沓掛山→久住別れ→久住山頂→天狗が峰→池の小屋→白口谷15:50退却→池の小屋17:00→久住別れ→北千里→18:25法華院
別隊:長者原9:30→14:40法華院

1972年2月 (6)

1972年2月法華院山荘

12日 法華院→大戸越→平冶岳→大戸越→坊がツル→大船山頂→坊がツル→法華院  別隊:法華院→大戸越→平冶岳→法華院

1972年2月九重合宿

13日 法華院→長者原

募集するも一般の応募なく大村山岳会から永田さんのみ。
九重連山は、先日の台湾坊主の通過で白一色の銀世界となっていた。大山での合宿以来の雪に皆心は弾んでいる。天気快晴、雪焼けを気にする橋口さん。西千里入口で昼食を済ませる。千々和パーティーとのトランシーバー交信は、沓掛山で一度できただけで後はいくらコールしても交信できなかった。気温は0度位である。
久住山頂からは雪景色の瀬の本高原を舞台に阿蘇五岳がくっきりと浮かび上がっている。天狗が城の登りになるとトレースはなくなり、最初のラッセルとなった。中岳へのアタックは中止して、コルから池の小屋へエスケープする。
白口谷を目指して小屋を出る時は、ガスってしまい視界は数十m程、全く方向が判らなくなった。コンパスで方向を確認しラッセルを始める。夏道に入ってしまうと腰までのラッセルで身動きが出来なくなる。ラッセルを交代して前進する。東千里のケルンで千々和パーティーとの二度目の交信が取れる。しかし、感度が悪くお互いの現在地を確認した程度であった。
白口谷に入ると、更に積雪多く。結局、雪と視界不良のため白口谷を下れず退却。雨ガ池越から法華院温泉小屋入りした山縣パーティーに心配を掛けた。 


3回目No135久住山~大船山~黒岳 昭和48年11月1~4日 8名
3回目も思い出多い山行でした。15座目黒岳で詳しく記述します。    九重山系では一般募集ハイキングや市民チャレンジ登山を姉妹都市交流で行うなど多くの山行を行いました。

No181大船山バスハイキング 昭和50年5月31日~6月1日 100名
No258大船山~黒岳他 昭和54年1月1∼4日 3名
No500九重山系 平成2年2月10~12日 3名
No549市民チャレンジ登山(市制90周年記念登山) 平成4年10月10∼11日 
              SAC28名、一般121名 計149名
No613大船山 平成7年10月28∼29日 2名
No653九重合宿 平成9年12月30日∼1月2日 7名
No695九重山系 平成13年2月10∼12日 8名
No732九重山開き 平成14年6月2~3日 2名
No835平治岳・大船山 平成18年2月11~12日 6名         No1030大船山・平治岳 平成25年1月2∼4日  5名
No1088久住山・大船山(職場研修) 平成27年10月17∼18日 14名
No1285平治岳∼大船山∼立中山 令和元年6月8∼9日 9名
No1334大船山 令和元年10月15∼16日 長男、次男夫婦と共に

15日吉部坊がツル (22)

16日大船山登山 (15)編集

16日大船山登山 (42)

16日大船山登山 (104)

No1337九州岳人の集い(大船山) 令和元年10月20日 5名+多数

20日大船山登山 (7)

20日大船山登山 (85)

20日大船山登山 (88)編集

15座目黒岳

黒岳

1回目No33久住山~大船山~黒岳 昭和45年12月30日~1月2日 7名
2回目No135久住山~大船山~黒岳 昭和48年11月1~4日 8名       思い出深い山行になりました。
2日 牧の戸峠→久住山→稲星岳→白口岳→鉾立峠→坊がツル(別隊は久住山→御池→白口谷→坊がツル)
3日 坊がツル8:45→大船山→風穴→黒岳13:35→16:45白水鉱泉
別隊:黒岳から風穴に戻り男池を目指すが風穴15:00近くで女性一人転倒し捻挫動けず。トランシーバー交信のため移動するも交信できたのは男池18:10。ここからの救出のドラマです。

1975.3黒嶽散策 001

緊急連絡を受け黒嶽荘に車借用をお願いし出発18:20。途中、林道を下山中のOさんを同乗させる。男池18:35着。
3名で現場に向かう。現場着20:00.女性二人はくりのみ山岳会の人達に囲まれ我々を待っていた。副木を当てて湿布をし足を固定する。中キスリングを分解して背負ザックとしてMが背負って下山する。くりのみ山岳会よりガスライトを借用助かる。

現場発20:30→大戸越第1分岐20:50→同第2分岐21:45→(かくし水より私が背負う)→23:25男池

池近くの小倉さんより飯田高原工藤病院の紹介を受ける。男池23:40発。現場では痛みは和らいでいたようだが救助する時、時々岩に当たったり動かしたりしていたので痛みを訴える。男池からの車内でもショックからか痛むようである。病院00:35着。
診療所のため検査等できないが診察の結果、内出血しているとのこと。時間を争うこともなく静脈注射と薬、湿布を処方いただく。病院には泊まることができず怪我人を病院に残し牧の戸に車を取りに行く。病院発01:10。
車二台で白水鉱泉に向かう。白水着1:40。テント荷物を整理して直ぐ病院に向かう。白水発2:10⇒病院2:35⇒長者原3:10車中で泊まる。
4日 8:40帰路に着く。佐世保着14:45、中央病院へ。 下写真男池。

9日3行動 (56)男池

No258大船山~黒岳他  昭和54年1月1∼4日 3名
No313秋の九重、湯治の山旅(黒岳・伽藍岳・由布岳) 
昭和56年10月31日~11月3日  6名 長男6歳も同行
No529黒岳天狗岩 平成3年10月26~27日 7名 次男12歳、甥12歳も同行

1991年10月黒岳 (1)

1991年黒岳 (1)

1991年黒岳 (2)

No800黒岳(高塚山・天狗岩) 平成16年10月30~31日 2名               No870黒岳(高塚山) 平成19年5月12~13日 4名
No941黒岳(高塚山・天狗岩) 平成21年10月24~25日 3名

昨年10月30日今水登山口から天狗岩を目指したが、私の膝不調や山友不調もあり天狗岩-高塚山分岐で時間切れ退却となった。こんなことは初めてである。

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次回は16座目国見岳、17座目作礼山、18座目八幡岳、19座目天山を予定しています。

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