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13年振りの海外登山・台湾玉山

1976年ヨーロッパ遠征から台湾玉山までの経過

断念・諦めの13年間でした。
ヨーロッパから3年後にはヒマラヤ遠征計画を発表しましたが・・・。
79年ヒウンチュリ6,441m(アンナプルナ内院)への遠征計画でした。
他登山隊の情報を入手し、我々の計画が期間・装備面で不十分と分かり資金面や休暇取得の困難さが判明しあえなく断念となりました。
仲間一人は諦め難くトレッキングに変えて出発しました。

その後も82年ニュージーランドマウントクック、84年ヒマラヤアイランドピーク、86年南米アコンカグアと遠征計画はありましたが休暇取得が困難で不参加でした。

満を持しての89(平成元)年6月の北米マッキンレー遠征もトレーニングに励みましたが、職場プロジェクトチームへの異動を乗り越えきれず不参加となりました。

短期間での山旅(台湾)が纏まったのは、その後直ぐで同年11月に実現できました。

 

台湾玉山3952m

No496平成元年(1989年)11月2~6日 6名
2日 佐世保⇒福岡空港10:45⇒12:50台北中正空港(以後現地時間)
   空港11:20周文氏出迎え⇒麗国大飯店(市内ブラリ)17:00周文氏再会
レストラン夕食18:00~20:00 中華民国山岳協会表敬訪問~21:00 ホテル帰着21:30
3日 台北西駅9:30⇒(高速バス)嘉義13:30⇒15;00阿里山2,180m⇒16:00自忠
4日 出発7:30⇒タタカ鞍部7:50→排雲山荘12:00→玉山山頂13:45→14:50排雲山荘→タタカ鞍部18:30⇒19:10自忠
5日 出発⇒8:00阿里山9:00⇒14:00台北ホテル 夕食18:00
6日 故宮博物館10:00 中正空港17:45⇒福岡空港20:45⇒24:00佐世保

 2日早朝に目が覚め、小学生の遠足当日のようです。自家用車で福岡へ。アルパインツアー㈱の説明を受けて出国エリアへ。約2時間のフライトで台北へ。空港で中華民国山岳協会の周文氏の出迎えを受け、ホテルへ案内いただきました。
今日はこのホテル泊まりと聞いて驚きます。予定では嘉義まででアルパインツアー㈱の計画書と全く異なりました。宿泊ホテルも違っており、周文氏に不信感を持ちますがいかんともしようがなく流れに任せました。
中華民国山岳協会への表敬訪問が第一義だったようです。    
夕食はさすが台湾だと楽しみました。

表敬訪問

 3日クーラーの音が気になり良く眠れませんでした。朝食はお粥。タクシーで台北西駅へ。これより高速バスで嘉義から阿里山へと向かいます。
高速道路入口では小銃を持った兵士が検閲しています。
中華人民共和国とは緊張関係にあることを改めて知らされました。

一日中バスに揺られ、嘉義では弁当の差し入れがありました。鶏肉がドカンとありあまり美味しくなかったようです。
嘉義から30分もするとカーブが連続する山道となります。標高2,000m以上まで上がります。阿里山が近くになるとガスがかかり展望はなくなりました。

阿里山は台湾で最も人気のある観光地(国立公園)です。
更に高度を上げ標高2300m自忠に到着。検問を受け入山手続きをしていたようです。近くの民宿に泊まります。古びた小屋の感じであまり綺麗なものではありませんでした。

 4日バスで登山口の標高2630mタタカ鞍部まで移動し登山開始です。
約9㎞先の排雲山荘3402mまで玉山前峰、西峰の中腹を歩きます。
写真の順序は多分違うと思います。

4時間半で山荘に到着。
既に日本第2の高峰北岳3193mを越えた場所です。

山頂まで2時間近く。山荘からは急登となり、足取りも重くなり高山病か?頭痛がする中ゆっくりと登ります。

五番目に山頂3952mに立ちました。素晴らしい眺めです。

この投稿を機会にネットで調べると、山頂は次のようなものでした。私たちの時は蒋介石の石像がありましたが、無くなったのかはハッキリしません。

ネット借用の山頂

山荘に戻ると、今日中に下山すると言います。今回の山行を象徴する出来事で、頭にきますが仕方なく陽もすっかり沈んだ中をタタカ鞍部に戻りました。

5日高山の影響で風邪気味。疲れのせいか夜中はあまり寝つけませんでした。皆さんも同様だったようです。阿里山を観光して帰路に着いたようです。

5時間かけて台北に戻ります。
林指導員とはホテルで別れ、ひとまず汗を流し16時に合流して夕食へ出かけました。食後はカラオケバーへ。夜の街を楽しみましたが街中には空襲避難施設があったりと台湾ならではを感じました。

6日故宮博物館を見学し夕方の飛行機で帰路に着きました。
旅費18万円の山旅でした。

次回の海外の山旅は「韓国の山旅」を投稿予定です。

 

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