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山登り人生vol134観音谷奥壁

29歳。長女4歳、長男3歳。
昭和53年度、20代最後の年です。
年間24回45日の入山で前年より10回減りました。
相変わらず黒髪山系への入山は8回と多い年で
その山行を振り返ります。
その⑥八幡谷偵察と観音谷奥壁にも足を延ばしました。

No259八幡谷偵察と観音谷奥壁


昭和54年1月21日 
A、T先生、S、会友Hと私
全員、アイゼン・ピッケル持参で集まったが
氷結の可能性なく多良から黒髪山系に変更する。
有田ダムと応法を結ぶ道は八幡谷で途切れていたが、八幡元橋の完成により便利になった。

八幡谷(仮称)偵察

八幡谷に入ると50m程で右の方に枝沢がある。
下から見ると上の方まで岩場が続いているようであったが、
期待外れで何もない。
沢を横切る古い道に飛び出したので、
この道を暫く辿ってみるが、期待できそうにもなく本谷に戻る。
本谷も滝場など期待できそうになかった。
枝沢対岸にある幅60m、高さ50m、斜度40度の岩場は、
フリクションを利かした登下降、トラバースなど、またザイルワークやアイゼンワークの練習には良い場所だった。
一日遊ぶには物足りないかと確認して次に向かった。

観音谷奥壁(仮称)

まだ10時を廻ったばかりだ。有田ダムの方に偵察に行く。
有田ダム観音橋の奥の岩場である。
とりあえず観音谷奥壁と呼ぼう。
応法から来たので観音橋から左折して50m程入ると路肩が崩れており、
ここに車を止め歩き出す。
(現在「マイセンの森」として記念植樹・整備されている。)

直ぐ砂防堤があり左の方から廻り込み枝尾根に取り付く。
踏み跡を暫く歩くと突然、樹々の中、岩場の下に古い小屋が現れた。
一瞬なんだろうと思い気味が悪く、一人だと引き返しただろう。
素晴らしい石垣、ツバメ返しと言うのか石垣の上に御堂があった。
観音堂と記してある。

2018年9月撮影

昭和28年修理との札も見られたので、それ以前の建立だろう。
今は荒れて訪れる人も少ないのだろう。
しかし、外にはまだ新しい小みかんが供えられていた。
(後年分かりましたがここは「永尾観音堂」といい、現在は黒髪へんろ道35番札所となっています。)

黒髪へんろ道ガイドブックより

ここからは岩場基部に沿って、
ヘゴが繁る斜面を10分程登ると奥壁が真上に見える岩場に着いた。
ここで腹ごしらえをして、まず左端の稜に取り付くことにした。
見た目、易しそうだったが、フリークライムの登攀で手ごたえはあった。
傾斜度平均5~60度、2ピッチ、75m、グレードⅢ級といったところだろう。
岩は陶石のように柔く、アイスハンマーでホールドを造ることも出来る。
リスがないのでハーケンは打てない。
ボルトも岩が柔いので特殊なものが必要である。

私とT先生、SとH会友・Aの二組で順に登る。
左稜を2時間で登り、40m丁度の懸垂下降でルンゼに降りた。
上半は空中懸垂で、ルンゼの下は滝となっている。
水は流れることはないだろう。
奥壁は、今登って来た左岩壁(稜)とルンゼを挟んで中央壁、縦に走った灌木帯を挟んで右岩壁と、大きく三つに分かれている。

2018年奥壁全体。当時、区分した左壁・中央壁・右壁ははっきりせず。

中央壁の左端を再び懸垂下降して30m下に着いた。
腹は空いていたがもう少し偵察する。
中央壁は幅100m程だろう。
ヘゴの中を横切って右端まで来る。この稜も難しくないようである。
H会友をトップにSと私3人組んで登る。
13m程でハングとなりリズムが狂った。
ここにも作兵衛岩で見た特殊ハーケンがあり驚いた。
先人達が登った跡である。
やはり目を付けるのは同じようだ。
このちょと立っている2~3mを登ると、後は順調にザイルは延びた。
丁度40mでコールがかかった。
傾斜度50度、40m1ピッチ、グレードⅢ級下。
終了点にもビレー用ハーケンが打ってあった。
セッコクが沢山ある。

ネットより借用

『採って売れば「ヒマラヤ遠征の資金はできる。」』と言いながら
下降点を探す。
中央寄りに7~8m下がって松の木を支点に懸垂下降40mする。
帰りは沢を暫く下ると観音堂近くに出た。
ここから10分程で砂防堤に戻って来た。

有田ダムより観音谷奥壁(仮称)を望む。

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