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山登り人生vol176後続隊の動き(剣岳合宿)その4

私32歳。奥様31歳、長女7歳、長男5歳、次男1歳
昭和56年度は8年振りの職場異動からスタートし、奥様の就職、次男の交通事故と変化の年でしたが、山への回数は25回・47日と増えだしました
2年振り剣岳合宿からスタートしました。
7回に分け投稿します。
その1は、先発隊のタイム記録です。
11月2日投稿しました。

その2は、先発隊「恐怖の三ノ窓尾根」です。
11月3日投稿しました。

その3は、先発隊「八ツ峰上半部」です。
11月4日投稿しました。

今回は、その4として「後続隊の動き」を投稿します。

No299春山合宿剣岳(後発隊)


昭和56年4月28日∼5月6日 
後続隊:M社長、F君、T女史
先発隊:M、Tと私
会長隊:Y会長、M女史、O
 
先発隊の動き
28日佐世保出発18:32(特急寝台あかつき2号)⇒
29日弥陀ケ原から歩き雷鳥沢(幕営)
30日悪天のなか真砂BC入り
01日三ノ窓尾根退却
02日八ツ峰上半部アタック、後発隊と合流

後発隊の合流までの動き

30日出発3名
  佐世保18:32(特急寝台あかつき2号)⇒
01日除雪少し進み天狗平から歩き
  岡山6:04(新幹線)⇒京都7:50(特急雷鳥1号)⇒富山12:10(富山鉄道)⇒
  立山13:25(ケーブル)⇒美女平13:40⇒天狗平15:00→室堂17:00→
  17:30雷鳥沢(幕営)
02日剣御前岳・別山登りBC入り
  出発6:00→剣御前小屋9:00→剣御前岳往復・別山往復→
  剣御前小屋11:10→剣沢小屋11:40(T君出迎へ)→
  13:40真砂BC(先発隊と合流)

この日、Y会長隊は佐世保出発
佐世保16:28(寝台特急さくら)⇒3日名古屋7:00(特急しなの1号)⇒
松本9:35(大糸線)⇒信濃大町10:50(タクシー)⇒12:00大町温泉郷
有料道路閉鎖により予定変更

後発隊M社長の報告より

30日後発隊出発。
長崎本線の信号機故障で約1時間半の遅れとなり
新大阪での雷鳥1号乗り継ぎが難しくなった。
車掌の手配で岡山から新幹線に乗り換え
京都で予定の雷鳥1号に乗り継ぐことができた。
立山電鉄の車窓からの眺めは素晴らしい。
立山三山に天を刺す剣岳が私の胸をときめかせる。
2人も素晴らしいを連発する。
ケーブルに乗り換え一気に標高975mの美女平に着く。
ザックの計量でT女史のザックが30kgでがっくりきたようだ。
弥陀ヶ原を経て終点天狗平に着く。

晴天で風もない、
春の太陽が雪に反射して100mも歩かないうちに汗をかく。
雪も腐り歩き難い。
無数のシュプールが縞模様となり美しい。疲れを慰めてくれる。

室堂ターミナルは大半が雪に埋もれている。
立山連峰の豪雪を肌で感じる。
疲れ果て雷鳥沢に下りテントを張った。
立山最初の夜をスキヤキと豪勢な夕餉でお祝いした。

眼下に雷鳥沢幕営地

2日6時、アイゼンを着け出発。
T女史の荷を少し受け取り、昨日より重くなった。
急斜面の登りはかなり堪える。やっとの思いで剣御前小屋に着く。

小休止して剣御前岳へ。
前剣の雪壁が素晴らしい。
遠くには槍ヶ岳も望まれ疲れも一変に吹き飛ぶ。
戻りには雷鳥3羽に出会い、慌てて八ミリカメラを回す。

槍ヶ岳を望む
雷鳥

別山までの登りはなだらかでゆっくりと高山気分を味わいながら、
頂上を経て一番突端まで行く。

別山へ

赤沢岳、爺ケ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳の眺望が見事で、
特に剣岳本峰が目前に迫り、我々を威圧している。

剣岳本峰を望む

なお遠く八ケ岳連峰、富士山も確認できた。
F君はT女史に山を指しながら説明しており、若い二人の姿が微笑ましい。
剣御前小屋に戻り、11時10分剣沢に下る。
剣沢小屋に着く頃はかなり疲れた。
源次郎尾根での遭難者を小屋に運んでおり緊張した。
小屋ではT君が出迎えに来ており、驚きかつ嬉しかった。
12時過ぎには八ツ峰行動中のM君とF(私)君との交信で成功の知らせ、
皆大いに喜ぶ。

剣沢小屋

T君の荷物持ちましょうかの申し出は嬉しかったが、
最後まで自力で下ることにした。
ザック30kg、体重70kgではたびたび腐れた雪に足を取られる。
腰近くまで埋まることも。
F君に何度か引き上げてもらう。

剣沢の下り

難行苦行の長い下り、BCに着いた時はダウン寸前だった。
出迎えでいただいた熱い紅茶がとても美味かった。
この夜も焼肉とビールで合流を喜び合い、
明日の行動を考え早めに就寝した。

次回から先発・後発隊が一緒の行動。

3日剣岳中止し黒部別山往復
4日剣岳登頂後、BC撤収、内蔵助平から黒部ダム(厳しい一日)
5日黒部ダムにてY会長らと合流、解散。 

黒部ダム

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