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山登り人生VOL229初の黒髪山開き

私34歳。奥様33歳、長女9歳、長男7歳、次男3歳
家新築入居も落ち着き、長女は小学4年生、長男は同2年生となり、
次男は幼稚園に通い始めた昭和58年度の山行は
32回、49日と回数日数とも大きく増加しました。 

No344第1回黒髪山開き

昭和58年4月2∼3日 
2日から参加 Y会長、M医師理事長、M社長、Y親子他6名と長男と私
3日のみT先生夫妻、K夫妻とS 計17名、

3日役員として西光密寺にM医師理事長、Y親子
青牧峠にE先輩、M先輩を配置しました。

2日夜は前夜祭として17時より竜門山の家裏でキャンプファイヤー開催。
3日朝9時より入山式。全員出席する。

昨年4月の山開き神事の様子。
数年前からは黒髪山を守る山の会主催で規模縮小し開催されています。

テープカットの後、参加者一同天童岩を目指して登り始める。
Y会長は山の家待機。
M医師理事長とY親子は西光密寺に直行し、
他のメンバーはボッカ訓練。
青牧峠でE・M先輩は役員待機し、他は青螺山へ。
見返峠でT先生夫妻、K夫妻と合流して雄岩に登った。
久しぶり大勢での山行であった。

乳待坊側から見た雄岩

今回の山開きは、
朝日新聞社と森林文化協会が主唱した「21世紀に残したい日本の自然100選」に選定されたのを機会に
黒髪山を守る山の会の三者が主催して行われたものです。
佐世保山岳会も協賛依頼を受け、
役員を派遣すると共に会員の参加で盛り上げました。
西光密寺での山開祭は朝日新聞一色だったとは、M医師の話でした。

天童岩には多くの登山者が集結し、上空には朝日新聞のヘリコプターが飛び、翌日の新聞にも大きく取り上げられました。

天童岩山頂
天童岩より青螺山、右手下方には雄岩を望む

帰りには佐賀県より山茶花・ツツジの苗木が配布され持ち帰った。

今年は42回目の山開きですが、多分、4月7日に開催されるでしょう。

 

 

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