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山登り人生VOL259揺れる金泉寺山小屋

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿になりました。
私35歳。奥様34歳、長女10歳、長男8歳、次男4歳の頃の山登りです。

昭和59年度の山行は19回、40日と回数は大きく減少しました。
アマチュア無線取得に向け講習会や奥様転職が影響したのかな?
仕事も浦頭引揚げ記念公園募金活動で超忙しかった。
7月24日から義母が関節炎で足を痛めギブス生活となり
義父の仕事を手伝い朝早くから商品配達していた。
11月30日まで100日間続いた。

この年3月、急に金泉寺山小屋が閉鎖されました。

なんともやるせない出来事でした。
この頃より多良山系や金泉寺に立ち寄ることが少なくなったようです。

No376多良山系(黒木ケ原岳から金泉寺)


昭和59年4月8日
K女史、T君と私
黒木→黒木ケ原岳→中岳→金泉寺→西岳北稜線より沢へ→黒木

今一番乗っている二人とでかけました。
多良は山小屋管理人Nおばあちゃん問題で大揺れ!

4月1日長崎新聞記事

山小屋ではSSK山岳部のM君が小屋再開の署名活動をしていた。
黒木に戻るとT先生や同部K氏らも
長崎県山岳連盟でのNさん再雇用の署名活動が行われていた。

・・・・当時の経緯など詳しく記しているが、
投稿してもネガティブな内容なので省略する。

3月28日朝日新聞記事

その後、Nおばあちゃんは山小屋に戻ることはなかった。
子供たちを連れて行く楽しみが減った。
多くの登山者が寂しい思いをした時期でした。

4月22日高木町で署名活動

朝4時20分T先生の迎えで高木町へ。
SACからT先生夫妻、M、S、SSKからY、諫早山岳会から5~6名の協力を得てビラ配りをする。その後、T先生は山へ。後は佐世保に戻る。9時からの無線講習会にどうにか間に合った。

No380金泉寺山小屋

昭和59年6月16~17日 
T先生夫妻、N副会長と私
16日、金泉寺山小屋管理人Nおばあちゃん問題で
県内外の登山者有志が小嶽小屋に集まり、今後の対策を協議する。
名誉回復の件は裁判中であり、その結果で考えようとなる。

17日は二日酔いで具合が悪い中を金泉寺まで往復する。
金泉寺は人影も無く、寂しさが漂っていた。
心配したように裏の自炊小屋が塵屑で埋まり始めていた。
こうなると急速に荒れだす。
早く小屋を再開してほしい。

下っているとSSK山岳部のM君が登ってきた。
ゴミを降ろすと言う。


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