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山登り人生VOL268県体ドタ靴出場

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿になりました。
私35歳。奥様35歳、長女10歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和59年度の山行は19回、40日と回数は大きく減少しました。

仕事も浦頭引揚げ記念公園募金活動で超忙しかったし、
実父の動脈瘤での久留米大学病院入院、義母のギブス生活、
義父の仕事手伝い100日間と人生でも稀有な時期だった。

北松山岳会が主管して開催された県体は県北地域の低山で実施され
数年振りに選手出場しました。

冷水岳の岩場

No386第36回県体(冷水岳∼古川岳山系)

昭和59年11月3~4日
役員参加3名
オープン参加5名
選手参加 T君、I中尉と私

3日、義父の仕事手伝い81日目を終えて
一旦帰宅して風呂に入り、ひと眠りして山の準備。
10時半、会長宅に集合してM社長、T君、I中尉の4人で佐々に向かう。

青少年旅行村で入山式12:30∼13:00、幕営審査後、冷水岳で登攀競技2位。
夜は指導員会で2種指導員の認定書を受領する。
監督会議に平行して天気図作成。

4日出発7時。

縦走競技は大観山入口∼大観山∼金比羅山∼明星峠~岳木場~志方。
一人17㎏、登山靴で走るのは辛かった。5位
踏査競技は志方∼古川岳∼城辻岳∼佐々町住民センター。2位

13:30から閉山式。総合2位、鍛われた一日であった。
会長の車で帰ったら、ステーキをご馳走になり15時過ぎに帰宅した。

I中尉(海上自衛隊医官)の報告

急遽出場が決まって、とにかく参加することに意義があると、最初から入賞など考えていなかったため、閉山式の成績発表になってやや驚いた。

世代交代の歳にもめげず良く歩いたF(私)さん、
体調を崩し脂汗を垂らしながらも最後まで健闘したTさんと、
一緒に歩いて涙ぐましいものがあった。

今回の実力からして総合優勝は射程圏内にあり、来年は酒をセーブし優勝を狙いましょう。

テントでサポートしてくれた朝永さんや木場さん、それに応援に駆けつけてくれたメンバーに感謝したい。
吉村さん、岩場での長時間審査お疲れ様でした。

城辻岳を見上げる

     

 

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