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山登り人生vol145幻に終わったヒマラヤ遠征計画

30歳。長女4歳、長男3歳。
ヨーロッパアルプス遠征から2年が経ち
海外遠征が話の中心になっていました。
多良や黒髪山系での岩登りは、
海外を想定したトレーニングを取り入れていました。
遂に計画を発表し退路を断ち実施への機運を高めました。
昭和54年3月8日発表の内容は、次のとおりです。
 
前書き
創立以来25年。71‘年ダウラギリⅤ峰九州大学登山隊長経験者M医師(理事長)や’78‘マッキンリー遠征経験者N氏の入会、一方県岳連でのガルワールヒマラヤ・トリスル遠征隊の派遣など海外登山の機運が高まり、年末年始にはM理事長のネパールトレッキング、I氏のキリマンジャロ遠征と活動を広くする中で、会として二度目の海外遠征を計画したので、その内容を発表します。
 
1登山隊の名称 プレ79‘〇〇〇ヒウンチュリ登山隊
2目的 ネパールヒマラヤ・アンナプルナ山群ヒウンチュリ6,441mへの登頂
3日程 4月24日 佐世保出発
    4月25日 バンコク入り
    4月26日 カトマンズ入り
    4月27~28日 キャラバン準備
    4月29日 ポカラバス移動
    4月30日 キャラバン開始
    5月05日 アンナプルナ南氷河 BC建設 標高4,000m
    5月08日 キャンプ1建設 標高4.600m
    5月10日 キャンプ2建設 標高5,200m
    5月11日 キャンプ3建設 標高5,800m
    5月12日 登頂 標高6,441m
    5月15日 下山開始
    5月20日 カトマンズ
    5月23日 帰国
4隊員 4名
    CL・私30歳、SL装備S31歳、食糧医療M29歳、渉外記録K24歳
5総費用 2,000,000円

ヒウンチュリを想定しトレーニングに励んだものの、
出発近くになり日程不足、装備不足が判明し敢え無く断念。
Sは手配済の航空券で発表内容をベースにトレッキングに出発しました。
他の3名はキャンセル料一人42,000円と高い勉強代になりました。
次の機会を目指そうとした3名は
剣岳小窓尾根に向かいました。

発表から2カ月後に、「断念記」「幻でない・・・」と思いを述べていますが、計画が甘かったと言えます。私個人はヒマラヤ行が実現したのは18年後でした。
 


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