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祖母山川上渓谷での沢登り

 川上渓谷は、大分県豊後大野市緒方町尾平鉱山の大野川水系の奥岳川(奥嶽川)の支流にある渓谷です。奥嶽渓谷とも言います。祖母傾国定公園に指定されています。この渓谷には、1972(昭和47)年8月初めて入渓しました。退会したSさんと2人、ウルシワ谷(祖母山)、川上本谷(障子岳)の遡行です。初めての本格的な沢登りでした。当時の写真もなく2019年本谷下部で遊んだものを挿入しました。

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4日黒金尾根から祖母山へ (14)

1973(昭和48)年にはS氏に女性4名が加わり、再びウルシワ谷にそして黒金谷(天狗岩)を遡行しました。下山時に、同時に入渓していた市内職域山岳部のMさんがオツルミズ大滝で滑落したとの情報が入ってきます。BCに戻り救助隊を編成し、現場に到着したのは16時40分です。

5日川上本谷 (10)

医師も16時頃BC到着。トランシーバー交信でアドバイスを受けながら救出活動を行いました。深夜に緒方町の病院に入りました。一時は意識不明の状態でしたが、大事に至らずに済みました。

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4年後の1977(昭和52)年8月、3度目の川上渓谷での合宿です。この頃、佐賀県黒髪山系の沢に没頭しており、息抜きのように合宿を実行しました。10名の大部隊。夏みかん隊:5名、甘納豆隊5名に分かれて行動しました。夏みかん隊はウラ谷(黒金尾根東側)を終え、縦走路でオツルミズ谷を遡行した甘納豆隊と合流して黒金尾根を下りました。

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BCに戻ると〇〇労山から遭難救助の要請を受けます。腹ごしらえして当会から若手5名が20時出発しました。夜間の沢は危険が伴い、思案の末緊急を要しないとの判断から一旦BCに戻りました。

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翌日4時15分再出発します。エボシ谷出合、ヤセオ谷出合、スリウス谷出合を過ぎ、救助を待つ川上本谷核心部には7時45分に到着しました。負傷者は思ったより元気です。右手は脱臼、右足打撲。登るのは厳しく谷を下ることにしました。ルート工作隊、負傷者搬送隊、初心者誘導隊と分担を決めました。8m、7mの滝は交互に背負って、三番目の7m滝が完全なハングで苦労を強いられました。滝以外は負傷者も歩くことができたので、思ったより早く14時にはBCに戻りました。

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後は労山に任せ救助隊を解散しました。首のムチ打ち、腕打撲で1カ月の入院だったそうです。
翌日は大雨で下山としましたが、川上本谷を渡れず高巻し吊橋を渡り退却しました。

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翌1978(昭和53)年8月、4度目の川上渓谷での合宿です。A、Yさんと私の3名。Tファミリーと合流しますが別行動です。
初日スリウス谷(障子岳)に、2日目ヤセオ谷を登りデケヤマ谷を下る予定が終了付近で2時間程彷徨い、予定変更で古祖母山から尾平越に向かってBCに戻りました。

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この数年で、川上渓谷にあるウルシワ谷、ウラ谷、黒金谷、川上本谷、スリウス谷、ヤセオ谷と主な谷は遡行しました。オツルミズ大滝までは救助活動で登り、デケヤマ谷、三枚谷が未踏で残っています。

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この後は、11年後と平成に時代が変わってからです。1989(平成元)年8月、M顧問、A、F、Y、M夫妻と私の7名で川上渓谷に向かいました。川上本谷を遡行しましたが翌日雨で下山し、ムコウカマドやベニガラを気にしながら見立方面へ抜け白滝温泉に泊まりました。

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本谷山や笠松山周辺にも対象となる谷はあるようですが、興味は傾山周辺に向いています。念願のベニガラ谷は、2008(平成20)年7月I、F、Eさんと私の4人で遡行しました。まだ、ムコウカマドが残っています。

もう久しく渓谷らしさの谷には入渓していません。次の写真は藤河内の谷、長崎県民の森のものです。

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