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忘れものはありませんか?

きょうの午前中、渋谷についたときに、あ、忘れものをした と気がついた。午後の約束も渋谷周辺だったので、そのまま行こうと思っていたのに、仕方がないので西荻窪の自宅に忘れものを取りに帰った。何度も通っている自宅から渋谷の距離と時間が、なんとも長くめんどくさく感じた。

気を紛らわせるために、忘れものについてぼんやり考えた。


わたしは、こどもの頃から忘れものが多かった。その他のことは一丁前にしっかりしているのに、忘れものだけは人の5倍、いや15倍はしていると思う。自分なりに思い当たる理由は、せっかちなので、確認せずに家をとびだしてしまうからだと思うのだけど、まあ言い訳でしかない。


そう思うと、落ちつきがなくせっかちが故に取りこぼしてきた忘れものは、たくさんある。

大人になって、人と話をしたときに「え、同じ年月でそんなことしてたの?」と、自分が通ってこなかった道を思い知らされることがたくさんある。


わたしの2大忘れものはわかりやすく「勉強」と「恋愛」だ。

こう書いてみてものすごいがっかりしているし、それを忘れて他になにをやっていたのか、じぶんでも不思議だけど、どう考えてもこのふたつは、ちょっと擦ったままどこかに置いてきたと断言できる。わたしだってこんな断言したくないけれど。


「勉強」は、正直じぶんが何をしているかわからなかった。勉強をする意味がわからないというかわいい理由ではなく、小中学校までの授業は、話をちゃんと聞いていれば誰にでもわかることだったし、みんなで同じ情報を共有しているだけだと思っていた。全員に同じ武器を渡されることに面白みを感じなかった。そして、気がついたら高校を卒業するまでずっとそのままだったので、勉強っていうのはそういうものなのかな と思ってしまっていた。あのね、蹴りたい。

「恋愛」は、だいぶ自己肯定感の低い10〜20代だったので、だれかの好意をちゃんと受けとることができなかった。まったくモテなかったのではなくて、好きだと言ってくれる人に対して、「それはちがうと思うよ。ワタシはアナタになにも見せていないから、間違いだと思うよ」と説得したりしていた。あのね、ぶちたい。


うっかり忘れてきてしまったそれらを、いまさら取りに帰ることはできるのか。だいぶ長い道のり進んできてしまったのだけれど。


「勉強」は、自分のしてきたこと以外はほんとうにわからないので、時間がたって大人になればなるほど、自分が何を知らないのかを思い知らされる。そして、知りたいと思ったらその時になんでも知ることができる。何をしているのかわからなかった学生のときの勉強とはちがって、知りたいことをダイレクトに知ることができるのはとてもうれしいし、あたらしく手に入れたその武器を使ってみたくなる。

専門学校ですこしかじったはずの「経営学」はひとつもあたまに残っていなかったけれど、お店をはじめる前の2年間にじぶんで仕入れた情報や知識は、すべて残らず身になっていて、即実践につながっている。

計画的に将来自分がやることを決められる人は、自分にどんな勉強が必要かわかるのだろうけれど、わたしの場合、これもまたせっかちが故に行動が先にでてしまうので、必要になってからでないとわからない。バカだなと思うけれど、しかたがない。

そういうわけで、「勉強」は何度でも取りにもどろうと思う。遅いとか早いとかはなく、知りたいと思ったときにいちばん吸収できる。この時代に気をつけたいのは、流れてくる情報であたまを埋め尽くさないように、じぶんでスキマをつくることだと思う。そうすれば、わたしはまだまだ伸びる。



「恋愛」は、10〜20代の恋愛はその時にしかできないものだと思うし、今そこに戻りたいかと考えても、まあ別にいいや と思う。たしかに忘れてきてしまったけれど、恋愛には旬と賞味期限があって、今取りにもどっても37歳の口に合うものは手に入らないし、忘れられたそれらはもうとっくに腐ってしまっている。無理をして20代のそれを現在に持ってきてしまったら大火傷をする。火傷というか下痢。

なので、「恋愛」は取りに戻らないことにする。賞味期限のみじかいものは、もういらない。何年も継ぎ足してきた秘伝のたれのように、なんだかよくわからないけどひとにはマネできない、もしかしたら恋も入ってるかもしれないけど、これは愛だね というのだけでいい。


もっと落ちついて、忘れものをしないように、大事なものを取りこぼさないように、よく確認しながら進みなさい とじぶんに言いたいけれど、もういまさら難しいだろうから、これから先もこのまませっかちなままポロポロといろんなものを落としながら進むのだろうと思う。

それでも、いま手にもっているものがすきなものばかりで、「こんなのもってるの」と胸をはって言えるのなら、それでいいと思う。

忘れてきてしまったものは、ほんとうに大事なら何度でも目の前に現れると思うし、自分以外の誰かが、ひろい集めたそれを束ねてプレゼントしてくれることもある。


そんなことを考えているうちに、西荻窪についた。


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