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星野源『Family Song』と家族の話

星野源『Family Song』が発売になった。

発売前のMVをふと観てなにげなく聴いたとき、ふわー!と、何とも言えぬ多幸感に包まれて自分でもおどろいた。


ちょうどお盆だった。
毎年、お盆と年末年始はなんとなく家族について考える時期だ。


我が家では、物心ついたときから父も母も親戚とは縁がなかったので、わたしには会える親戚がいない。子供の頃から自宅は賃貸で、現在はわたしの借りている部屋に母も一緒に住んでいるため、実家というのも存在しない。

まあこれはこれで気が楽で、イヤだと思うことは特になかった。それでも、お盆や年末年始に帰省するひとたちを見て、帰る場所があっていいなあ、会いに行く人がいていいなあ、と思うことはある。

「家族」について思うとき、いつも自分に足りないなにかを感じていた。


この『Family Song』も、題名から家族の歌だとわかっていたので、共感はしないだろうと多少ナナメに聴いたような気がする。それにも関わらず、グッとつかまれてしまったのは、なぜだろう。


わたしには、娘のあーちん(14歳)という家族がいる。もう12年以上メンバーはわたしと彼女のふたりだけど、最強のチームメイトだ。そしてここ数年、わたしはあーちんだけではなく、このチームにメンバーが増えるといいなと思っている。そのことについてはずいぶん考えた。そのさんざん考えて出した答えを、まさにそれを、星野源が歌っているのだった。

ただ幸せが 一日でも多く 側にありますように
悲しみは次のあなたへの 架け橋になるように

あなたは どこでもゆける
あなたは 何にでもなれる

『Family Song』星野源 より


この歌詞について彼はこう話している。

家族について歌詞を書いていると、ほぼ〈愛〉と同義なんじゃないかっていうのはすごく思いました。
〈なにが家族なんだろう?〉って思ったとき、相手のことを心から無事であるように願ったり、少しでも幸せであるようにと、何の見返りも求めず思える、そういう関係を家族というのだろうと思って歌詞を書きました。

星野源『Family Song』特設サイトより



たくさんの人が「これは自分のための曲だ」と思うのだろうし、その共感こそ彼がスターになった所以だ。それでもうれしかった。自分が生きてきた環境ではなくて、誰かを思う気持ちが家族なんだと言ってくれたことが、とてもうれしかった。


安心できる場所があって、いっしょに楽しい気持ちになる瞬間があって、少しでも多くしあわせがあるといいと願える人がいたら、どんな関係であってもそれは家族だと言いたい。


わたしは、こどもから大人になるときに、「親と自分は別の人格だ」と切り離して考えることで楽に生きてこられたと思っている。そのことから、娘のあーちんに対しても同様に考えていて、わたし(親)と彼女の人格や人生を、影響力を踏まえて、信頼と尊敬のもと、ちゃんと切り離してあげたいと思う。

血縁関係があっても別の人格だというのと並行して、血縁関係がなくても家族になれると思う。そもそも夫婦は他人同士だし、そこに恋愛感情や金銭的なつながりが一切なくても、大人でも子供でも異性でも同性でも、家族になれると本当に思っている。


きっとこれから先は「家族」の定義はどんどん変わっていくし、「両親とその子供」という形以外にいくらでも家族になれる可能性は溢れていて、その方がきっと楽しいよと思う。



『Family Song』を聴いて、歌詞とメロディその全部から、家族の可能性をいっしょに見ているように感じて、多幸感に包まれたのだ。

彼がこうしてスターになって、たくさんの人がこの歌を聴いてくれる時代、悪くないかも。


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