「わかります」がわからなくなって考えたこと

小学校のときの先生が作ったルールで、授業中に挙手して意見を言うときにその手がグーだと反論、チョキだと同意や付け足し、パーだと別の意見 というのがあったのを、SNSでよく見る光景で思い出した。

誰かの意見に対してグーやチョキがでてくる。単語にだけ反応している場合もあれば、何かが決壊して溢れるかのように反応している場合もある。
その中で本当に同意、全くもって一致、超理解、というのはほんの一握りで、ほとんどがその人のストーリーに共通のワードがある(同意も反論も)というだけなのではないかと思う。
そう思うことで「わかります」「私も同じです」「わかりません」「ちがう人もいます」にモヤッとしたときに流すことができる。
instagramで有名人の写真に自分も食べたことがあるものが写っていたときに「わたしもそれ食べました!」と反応するのと、誰かが何年も考えてきたことに対して「わたしも同じです!」と反応するのはほぼ同じ。

だとすると今度は、本当にわかる!のときにどう反応していいかわからない。紛れてしまうチョキじゃなくて何を出せばいいのか。

それは自分の舞台で踊るしかないのだと思う。
誰かの意見に対する意見というのは、舞台上と観客くらいの距離がある。
これが自分の踊りだと舞台に立っているもの同士は目が合うけれど、観客席で賞賛してもブーイングしてもその人たちがケンカしてても、舞台上と目が合うことはない。

もちろん観客としての楽しみ方もあり、立ち位置を使い分けることも大事だ。無反応よりもチョキもパーもうれしいし、そこから新たに生まれる踊りもある。

それでも、観客として参加しているだけより、踊る方を選びたいなと思う。
客席からチョキじゃなくて、舞台の上からピースしたい。

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