ファッションと思考の選択とロイヤルミルクティーについて

ツイッターをながめていたら、友人が「身にまとうものは思想の表明だ」と書いているのが目にとまった。

そうかもな、と3秒ほど考えて「今日はいつもとちがう格好をしよう」と決めた。ここ数日、ちょっと考えが偏っているなと感じていたので。


ベージュのチノパンを履いて(いつもはスカート)、アイラインを引いて(いつもはしない)、髪の毛を内巻きにすこし巻いて(いつもはブローすらしない)、ゆっくり歩いて(いつもは早足)、洋楽を聴きながら(いつもは邦楽)、紅茶を飲みに行った(いつもはコーヒー)。


「ちがうことをしよう」と思うと、「いつもどうしてるか」を改めて思い返すのがおもしろい。いつも黒やグレーの地味な服ばかり選ぶのはなんでだろ。いつも化粧が薄いのはなんでだろ。いつも早く歩くのはなんでだろ。

いつも自動的に感覚だけで選んでいるひとつずつについて考えると、「すき/きらい」の好み、「合う/合わない」のフィット、「正解/不正解」の他人の目、そして「ほっとくとそうなってしまう」の性格、などいろんな理由が見えてきた。

普段は無意識にそれらのバランスを取っているんだなーとわかった。

そして、アイラインを引くと目元だけ浮かないようにちゃんとリップを塗ったり、髪の毛を巻くと使うスタイリング剤が変わるように、なにかひとつを変えると、周りのものも少しずつ変わる。

何かを選ぶっていうことは、白黒きっちり分別をつけるというより、とても流動的なことだなと思う。



ということは、よ。

考えが偏ってるときや感情を切り替えたいときも、突然ガラッとすべてを変えようとしないで、思考や感情を細かく分けて、ちいさなひとつだけを変えればいいということだ。

それなら、いつもやってるわ。

たとえば「あーなんかやだ」という漠然としたものを「どの出来事の、どの部分が、なぜイヤなのか」を知るために分解する。出来事と感情に分けて、「全体的にヤダ」を「このちいさいひとつがヤダ」まで持っていく。そしてそのちいさいひとつだけについて解決する。

ほとんどの場合はちいさなひとつが見えると安心して、見えた時点で解決していたりする。「相談」のはずがしゃべって吐き出したらスッキリして解決しちゃうあれと同じ原理だ。



ファッションも考え方も自分で選びとるもので、好きに選んでいい。気分でも決意でも、なにかちいさくひとつ変えるだけでけっこう変わる。

紅茶を飲みに行ったお店でいただいたロイヤルミルクティーとクリスマスのスコーンがすごくおいしくて、茶葉を買って帰った。ちいさなミルクパンで牛乳を沸かすの、おままごとみたいで楽しいんだよな、と思い出してうれしくなった。


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コメント2件

身にまとうものは思想の表明だ、というご友人の言葉、すごく共感します。だから友人の着る服に興味を持って楽しみます。私も会う友人に合わせて、少ないバリエーションの中から選びます。
さらに「あーなんかやだという漠然としたもの~」からのくだりも、とても共感します。
その二つを、こういう風につなげてお考えになったことに、なるほどねえと感心してしまい、とても面白く読みました。
身にまとうもの(まとい方、まとうかどうか、まとわないということをまとう、とかもひっくるめて)っていうのがまず他人から分かる最初の自分であり、自分にとっての対外的な自分なんだなぁと思いました。
どれだけまとっても、どれだけひん剥いても、対外的な部分が一番自分の表、他人から見るか自分から見るかで対外的にうつる部分が違うだけなんだなと思ったので、備忘録がてら
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