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笑うシングルマザーができるまで

あーちんのことを知っている友人に、よく「サクちゃんも、両親にあーちんみたいに育てられたの?」と聞かれることがある。

どちらかというと、真逆だったなと思う。

わたしは三姉妹の中間子で、遡って客観視してみると、学力も運動も中の上で特に問題を起こすタイプではなかった。
だけど、いろいろなことを知りたい、わかりたい、という気持ちが強くて、それゆえ観察力があったのだと思う。

小学校の先生に「どうしてもっと子供らしくできないんだ」と言われたこともあったし、中学校の先生に「見透かすような目をするな」と言われたことも憶えている。

大人からみて自分がどう見えていたのかはわからないし、治しようのないことだったので後悔はないけれど、この経験があったから、わたしはあーちんに極端なほど対等に接するのかもしれない。


しっかり者で淡々とした性格の姉と、甘え上手でかわいい妹に対して、落ち着きがなくガサツなわたしは、中間子にはよくあるパターンで、姉妹の中で怒られ役だった。

だけど、10歳になったころ、どうやらそれだけじゃないなと気がついた。

どうしてわたしだけ、何をするにも「ダメだ」と許されないのか、土曜日に姉と妹は遅くまで起きていて、みんなでテレビを観ているのに、どうしてわたしだけ8時すぎには寝ないといけないのか、父が酔っぱらって帰宅したとき、どうしてわたしだけ起こされて「おまえはダメだ」と怒鳴られるのか、わからなかった。

そしてある日の夜中、母が父に「どうしてあの子にだけつらく当たるの」と言っているのが聞こえた。
父は「あいつは俺に似ているから、見ていて腹が立つんだ」と答えた。

ああ、そうか、とその時にわかった。
父はわたしのことがきらいなんじゃなくて、自分のことがきらいなんだと。

それからは、楽だった。
早くこの人から離れてあげないといけないな、早く大人になって働かないとな、と思った。
こどもが受けとるにはつらい発言かと思いきや、わたしの、「本当のことを知りたい」という気持ちは本物で、本当のことを知って、安心したのだ。

父の本棚に「アダルトチルドレン」関連の本が何冊もあるのを見て、やっぱり父はつらいんだなと溜飲を下げたりもした。


しかし、親の言葉というのは大きな力があって、「おまえはダメだ」と言われ続けると、「自分はダメだから」という前提でしか考えられなくなる。

「調子にのるな」と言われ続けると、自分は楽しんではいけないと思ってしまう。

それから、男の人が自分に好意を持ってくれる、ということがわからない。「好きだ」と言われても、「そんなことはあるわけない」と本気で思ってしまう。


わたしは、時間が経って自分が大人になれば、いろいろなことが大丈夫になると思っていたので、非行に走ることもなかったし、暗く引きこもることもなく、健全で明るいまま10代を終えようとしていた。

しかし、わたしが18歳のときに父は脳梗塞で倒れ、そのまま4年間の入院生活の末、亡くなった。
手術の後、意識は戻ったが、脳の言語部分の麻痺と、半身不随で寝たきりのままの4年間だったので、会話をすることはできなかった。

父が亡くなって、ただ、予定がくるってしまったな、と思った。
わたしが大人になったら、父と仲良くできるはずだったのにな、わたしが子供のときにどう思っていたか、話を聞いてほしかったな、と。


子育ては自分の敗者復活戦ではない、と言われているものの、産まれてきたこども(あーちん)に、わたしが絶対にしてあげたかったのは、ひとりの人として見てあげること、「あなたは大丈夫だ」と伝えてあげること、わたしが楽しそうにしている姿をみせてあげることだった。

あーちんが大人になって、親のわたしを思い出したとき、「母はいつも笑っていたな」「母はわたしのことが好きだったな」と思ってほしい。


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