夕立の思い出(since あーちん3歳)

深く掘りすぎてヘンなガスでも出るんじゃないかと心配になるほど地下深くに大江戸線は走る。仕事を終え、自宅の近所の保育園に向かう25分間は、仕事モードと家モードに切り替えるのに必要な時間だった。地下をもぐり、窓から見えるのがずっと暗闇なのもまた、ワープ感があり切り替えるのに都合がよかった。

切り替えといっても、スピードモードからリラックスモードへの切り替えではなく、考える内容の変更で、保育園のお迎えの後にスーパーに寄って買うべきものがあるかないか、帰宅してからつくる夕飯の手順、その他家事の同時進行のシミュレーションで、頭は休まらない。

18時半のお迎えから21時のこどもの就寝までの2時間半のあいだに、ごはんをつくって食べさせ、洗濯をしながらちょっと掃除、お風呂に入れて寝かしつける。こどもが寝たらまた支度をして、再度、片道小1時間かけて職場に戻ることも少なくなかった(母がいるので問題なかった)。

その日も、各店の閉店後にスタッフが集まるミーティングに参加するため、もういちど職場に戻らなければならなかった。


保育園に到着すると、時間内にお迎えに来られたことと、あーちんの顔をみることで、ひとまず安堵する。

わたしは保育士さんからその日の出来事などの報告をききながら帰り支度をし、あーちんは絵本を読みながらそれを待っていた。支度が終わっても、絵本を読み終わるまで「あとちょっと」「ちょっとまってね」と言うあーちんをしばらく待っていた。


キリがいいところで切りあげて帰ろうとすると、外はものすごい勢いで雨が降っていた。雨粒がみえず視界が白くなるほどの量で、雨が線ではなくカーテンのような面で降り、さながら滝の中のようだった。

あーちんが「しまった」という顔をした。絵本を読んでいる間に降りだしたので、自分のせいだと責任を感じたのだろう。それを不憫に思ったのと、時間がないことと、早く家に帰りたいという気持ちが混ざって、「どうしよう傘がないね」と言うあーちんに「よし、行っちゃおう」と声をかけ、外に出た。


5歩ほど走ったところで、すでにどうしようもないくらいずぶ濡れになったので、もう走るのをやめた。「ママちん!」と呼ぶあーちんの声も、雨の音で聞こえない。滝に打たれるような水の圧と、声もかき消す怒号と、服も靴もぬれすぎてボロ雑巾みたいになっている自分たちの、そのすべてがおかしくなって、大笑いした。あーちんもつられておおきな声で笑った。

ふたりで爆笑しながら、家までの道を走ったりスキップしたり、木の枝をつたって筋状に落ちる雨にわざと打たれたり、急に立ち止まって直立したり、振り返ってそれを見たあーちんがさらに爆笑してしゃがみこんだりしていた。

家に着いたら、玄関ですべての服を脱いで、ふたりでお風呂へ直行した。

さっぱりしてホカホカになって完全に脱力し、適当につくったうどんをふたりで食べた。


あーちんは、寝るときも思い出し笑いをしていた。「おもしろかったねえ」「ママちん、気をつけ したよねえ」「あーちん、笑って立てなくなっちゃったよねえ」と話し続けた。

よっぽどおもしろかったのか、その後、夕立が降るたびに思い出して、何度もその話をするようになった。


時間との戦いのなかで、常に優先順位を決めては3つ先のことを見て、効率よくものごとを進めなければいけない、それが使命だと思い込んでいたわたしに、計画をすべて台無しにした夕立が、こんなにたのしいふたりの思い出をつくった。

どうしようもなくうまくいかない日のほうが、人生のなかで大事な日になることがある。


夕立がいつの間にか「ゲリラ豪雨」と呼ばれるようになった今でもまだ、突然の雨の日に、あーちんはうれしそうにこの日の話をする。


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