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『冷凍都市でも死なない』わたしのひとり暮らしのこと

10歳のころから「ひとり暮らしがしたい」と思っていた。はやく自分でお金を稼いで、自分ひとりの空間で生活をしたいと願っていた。

東京出身なので「18歳で東京に出る」という目標もたてられず、高校生になって進路を決めるときは、ひとり暮らしができる方法として「早く仕事に就けること」だけで、専門学校に決めた。(北海道の大学に行く案もあったが、より早い自立を選んだ)内容は正直なんでもよかった。


しかし、19歳のとき、あと1年半で自立できるというときに父が倒れ、その後4年間の入院生活を送ることになった。しかもその際に、父が生命保険や医療保険を解約していたことが発覚し、お金と介護の時間が必要になったので、当然わたしのひとり暮らし計画はなくなってしまった。

10年もの間、ずっとひとり暮らしをしたかったのは、父から離れるためだった。近くにいるからうまくいかないけれど、距離さえとれば大丈夫だと思っていた。その父が家からいなくなり、経済的にも厳しい状況だったし、家から離れる理由はなくなったはずだった。

それでも、10年間ひとり暮らしをしたいというその一心でいろいろな選択をして、また同時にその他の可能性を見ないようにしてきたので、当時のわたしは混乱してしまった。混乱して、その状況のなか、強行でひとり暮らしをした。

友人が、恋人の家で同棲をはじめたいのだけど、まだ自分の部屋を解約して完全に移り住む覚悟ができない、でも二重に家賃がかかるのはもったいない と言うので、それならわたしが住むよ、と申し出たのだ。

当時のお給料が16万円くらいで、アパートの家賃が¥62,000、自宅にも¥60,000を払うという家族には迷惑をかけない条件で、むりやりひとり暮らしの極貧生活をはじめ、半年くらい続けたのだった。


先日、SNSで、とあるウェブサイトを知った。

「冷凍都市でも死なない」

なんとなく生きづらい世界をできるだけ愉快に、できるだけ持続的に、できるだけ美しく どうにかこうにかうまいこと生き抜いていくためのやり方を記録し共有するためのウェブサイトです。

このサイトを見たとき、17年前の、あの東中野のアパートの部屋を思い出して、ちょっと泣いた。

部屋がものすごい湿度で服やカバンのほとんどにカビがはえたことや、大家さんに会わないようにひっそり出入りしていたこと、ユニットバスがいやで毎日半泣きでシャワーを浴びていたことを思い出した。だけど、自分があの部屋でどんな思いで暮らしていたのか、楽しかったのか、苦しかったのかは、いっさい思い出せない。

あのとき、もしもこのサイトに出会っていたら、自立することやひとり暮らしは目的ではない。暮らしは何かから逃げてつくるものではないと気がつくことができたかもしれない。

このサイトを見て思い出したのは、あの部屋と、あのころ諦めたことだった。

諦めたままここまできてしまったけれど、わたしも「できるだけ愉快に、できるだけ持続的に、できるだけ美しく どうにかこうにかうまいこと生き抜いていく」暮らしをつくろう。諦めたことを今からでも取り戻そう。そう思った。

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