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「考えるってどうやるの?」(読書感想編)

「じぶんがどうしたいかわからない」
「考えるってどうやるの?」

そう問われて思い出したことがある。


こどものころ、「読書感想文」が書けなかった。

ある本(物語)を読んで感想を書くときに、望まれているのが「文章の一部抜粋」「それについての感想」「自分の体験」「読んだときの気持ち」などを書けばいいということはわかっていたけれど、わたしはそんなふうに本を読んだことは一度もなかった。

まず、その感想文を誰に向けて書くのかがわからなかった。その本を読んだことのある人に向けているのか、読んだことのない人に向けているのか。(こんなにおもしろいから読んでみて!の推薦文なら書けるけれど、どうもそうではないらしい)

その本の作者が、読んだ人になにを伝えようとしているのか、という書いた人の気持ちに寄り添えばいいのか、作品のなかの登場人物に寄り添えばいいのか。(寄り添えない場合「わたしにはわからない」しか書けない)

先生は「考えすぎずにもっと素直に書けばいいんだよ」と言うけれど、そもそも、本を読んで思うことや頭にうかぶ考えは、だいたい自分自身のことで、そのまま正直にうかんだ気持ちを書くと「本の内容、まったく関係ないがな」という文章になってしまう。


まあ、今思っても我ながらだいぶめんだくさいこどもだったなと思うけれど、そのときは真剣に「感想」と「自分の考え」はちがうんじゃないかと なにかを読んだり見たりしたときに出てきた思いは、自分の考えではないんじゃないかとと感じていた。

そして単純に物語を読むのがヘタだったんだと思う。自分に置き換えたり、世界に入り込んだりすることができなかった。


それは今でもかわらなくて、だれかの言葉や物語に「内容の理解」と「そのひとが伝えたいことを想像する」ことはできても、そこに感想など特にないことばかりだ。共感したときは、なぜそう言ったのか、その言葉を書いた人のことを知りたくなる。


読書感想文を上手に書けることは、自分の考えをうまくまとめることができるということではないと思う。読書感想文は「あまり深く考えないで、表面をなぞってひろげて書く」という作業だったんだと思う。


考えれば考えるほど、感想からは遠ざかる。


「考えるってどうやるの?」という問いに答えはすぐには出ないけれど、はじめにすることは「感想」を取り除くことなのではないかと思う。

たのしい、いやだ、わかる、わからない などの感想を取りだして、「なぜ?」「ほんとうに?」と自分用に分解していくことなのかなと。

つづく


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