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知識のひきだしの整理整頓の話

昨年、半年間「コルクラボ」というコミュニティに入ってコミュニティについて勉強していたのだけど、さっき、ふとその頃のことを思い出していた。



**「わかる」までの時間

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半年間、普段は読まない本をたくさん読んだり、講演会やトークイベントなどにも積極的に参加して、みんなであれこれ考察して議論をした。

わたしはせっかちなので、本を読むのは早いし、人の話もその場でだいたい理解できるけど、本当に「わかる」のにはとても時間がかかるほうなのだと思う。

本をつくったり人前で話せるまでにものすごく時間をかけた誰かの思考や答えを、自分のものにするには時間が必要だ。自分で噛み砕いて、飲み込んで、身に染みて、それをもう一度自分の中から出すという作業をしないと、表面の言葉だけ理解しても「わかった」とは言えない。

そして、その消化にかかる時間は人によってちがって、特にわたしは時間がかかるので「みんなで勉強する」というのがむずかしかった。

だから、半年のインプットの後ラボから離れて、自分の中でどれを育てるか向き合い、整理整頓する時間をつくった。それはひとりきりでしかできないから。


**知識のひきだしの数と容量

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半年間で仕入れた知識の、その都度消化できなかった「わかったような気がするけど保留案件」で、ひきだしがパンパンになっているなと感じた。

使う予定がない知識をきれいに並べておくのはコレクターと同じだし、いつか使おうと大きなひきだしに入れておいてもぐちゃぐちゃになっていざというときに出てこない。

実用するなら、ひきだしをなるべく細かくわけたほうがいい。そのひきだしのジャンル分けと整理整頓の仕方こそがセンスなんだと思う


コルクの佐渡島さんと話していると、どんな話をしても「ああ、それはこうですね」とひょいとひきだしからなんか出してくる。

そのひきだしに入っているものは「すでに一度考えたことがあること」なので、いつも考えた量の多さにおどろかされる。

あまりにどんどん出てくるから、「ひきだしじゃなくてわたしを見て!」という気持ちにすらなって、「そのひきだしにわたしから出てきた何か新しいものを入れたい…!」という謎のモチベーションもうまれる。


**落ちこぼれの反撃

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わたしは佐渡島さんのように知識を入れながら同時にひきだしにしまう技術がないので、とりあえずガサッと入れておいて、あとでゆっくり整理整頓するというドンくさい方法しかできない。

あと、みんなで順を追って勉強しているときに、いつもひとりで途中でひっかかってしまう。AからEまで行く途中のBでひっかかってしまうと、Cから先は一切入ってこない。他の人たちが先に進んでいくなかで、落ちこぼれる。

だけど、これはちゃんと学んでいる証拠だと経験上わかる。むしろ適当に学んでいるときは、さらっと表面をなぞってついていける。ただし、さらっとした理解しかできない。

何かに引っかかるときは、1を知ると10のわからないことがでてくる。知れば知るほどわからないことがうまれる。

そこでちゃんと立ち止まって考えることができると、引っかかりが取れたときに勢いよくたくさんのことがわかる。引っかかっていたゴムがはじけるように飛躍する。サラッと理解するときの何倍も「わかる」ようになる。


**整理整頓、手伝います

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わたしはこの「わからないことがわかる快感」と、「ひきだしの整理整頓」がけっこう好きで、自分だけじゃなくて人に対してもやっているなと思った。

友人と話していると、ひきだしの中身をだして見せてもらって、「これはこういうことだねえ」と名前をつけたりジャンルを分けたりしてひきだしに戻していく作業をしている。

だからよく「サクちゃんと話していると考えが整理される」とか「自分で気づかなかったことをサクちゃんに言語化されてわかる」などと言われるのかもしれない。

「アドバイザー」じゃなくて「雑談ニスト」だよね、というのはそういうことで、空のひきだしにわたしが何かを入れることはできないけど、その人の引き出しの中身を出して整理整頓をお手伝いするのが得意なんだな。

ご要望があれば、ぜひお呼びください。

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