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小沢健二の「もしも」と、浅田真央選手とあの子の決断のこと

浅田真央選手が引退を発表した昨日、時同じくして、うちのあーちん(14歳)が中学の部活を辞めた。

昨日、帰宅後にあーちんが「こういうことをしたい(絵を描く時間をつくること)から部活を辞める と自分が思ってることを話したら、部員のみんなが『あーちんが決めたことだから応援するし、これからも演奏会とか観にきてほしいし、部のみんなでディズニーとか行くときは誘うね』って言ってくれた」と、泣きながら報告してきた。わたしは「よかったね」とだけ返事をした。

思えば、これは彼女にとってはじめての決断と別れの経験だったのかもしれない。保育園や小学校の卒業も、引っ越しも、自分で決めたことではないし、悲しい気持ちよりも「早く次に進みたい」という楽しみな気持ちが大きかったように思う。


ひとはみんな、生きていると、いくつもの別れを伴う決断をする。決断と別れは常にセットだとも言える。そして、それをあとから振り返ってみると、そこには無数の「もしも」がある。

最近では、映画『ラ・ラ・ランド』や、小沢健二『流動体について』の歌詞でも「もしも」がテーマになっていた。

もしも、間違いに気がつくことがなかったのなら?
平行する世界の僕は
どこらへんで暮らしているのかな

小沢健二『流動体について』より


もしもあのとき、別の何かを選んでいたら?という「あったかもしれない世界」を、小沢健二は「平行世界」と呼ぶ。わたしたちにはそれぞれの無限の平行世界があり、そして、たったひとつの現実世界がある。

わたしは、過去の「もしも」を考えることが極端なまでに苦手だ。「後悔をしない」というのも同じことだ。選択がまちがっていたとしても、戻ることはできないし、他の選択をしたときにどうなっていたかわかることはない。あるのはただ自分が選んだ目の前の道だけだから、そこでどう楽しく進むかを考えるしかない。

それから、過去の選択で取りこぼしたことも、その時は選択肢になかったことも、必要なことはあとから必ずまた目の前にあらわれる と思っている。同時に、選択を避けて逃げていたことも、残念ながら手を替え品を替え何度でも目の前にあらわれる。そう思っているので、希望と諦めをもって、とにかく進むしかないのだと決めている。


そうやって進んできて、30代も後半になってふりかえると、自分に与えられてきた課題のようなものがよくわかるようになった。我ながらよく乗り越えてきたなと思うし、課題を解決したからこそ見える景色がひろがっている感じがする。(まだ取りこぼし中の課題もある)

その景色には、越えてきた課題の山と、選ばなかったたくさんの「もしも」の海が見える。そして、その海は、未来の「もしも」にもつながっている。未来のもしもとは、つまり可能性だ。


わたしは、これからもこの海のなかを進みながら、見えている景色を、他人のためにつかいたいと思うようになってきた。折り返し地点が見えたような気がしている。(とか言って、この先にまだまだ大きい山があるかもしれないけど…)

小沢健二はこう歌う。

神の手の中にあるのなら
その時々にできることは
宇宙の中で良いことを決意するくらいだろう

無限の海は広く深く
でもそれほどの怖さはない
宇宙の中で良いことを決意するときに

小沢健二『流動体について』より



浅田真央選手が、2010年のバンクーバーオリンピックのとき、演技前のインタビューで「自信はありますか?」と聞かれて、「練習は、してきました」と堂々と答えた。その言葉が、記憶に深く残っている。4分間の本番が結果であっても、そこにたどり着くまでの練習が全てで、「できることはした」と胸をはって言えることのものすごさを感じた。

結果や、決断の善し悪しはあとからついてくるもので、やはりできることは、目の前にあるものを大事にしながら、現状を問いかけ続けることと、進み続けることだとなのだと思う。


それぞれの決断に、幸あれ。


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