わたしはハムが好きだ。

家の近所に手作りのハムやソーセージのお店がある。週末は作りたてのハムやベーコンやスペアリブやソーセージをその場で切って売ってくれる。保存料も防腐剤も使っていないというそのお店のハムは、本当にやわらかくて脂も甘くて噛むとちゃんとお肉の味がして、ほんとうにおいしい。

さっきお店の前を通りかかり、塊のハムが並んでいるのを見てつい立ち寄ると、ちょうど骨付きのももハムをおじさんが切っているところだった。断面のピンク色のグラデーションと肉汁をたっぷりまとったそのセクシーさに降参し、すぐに購入した。

おじさんはいつものように少しずついろいろなハムを試食させてくれて、今日は濃い目に味のついたポークジャーキーも切って食べさせてくれた。「おいしい…お酒のみたい…」とわたしがつぶやいたのを聞いて、「飲みすぎちゃうから、ちょっとだけ持って行きなよ」と一番小さいかたまりを包んでくれた。


わたしはハムが好きだ。たぶん子供の頃から好きだったと思う。

こどもが小さい頃から、仕事で疲れてご飯をつくるのがいやな時には、ハムとチーズと目玉焼きとパンで朝ごはんのような夕飯にしていて、ちょっといいハムとおいしいパンはわたしにとってご褒美だったし、パリに旅行に行った時も、いちばんおいしかったのはバゲットにハムとバターをたっぷりはさんだサンドイッチ(ジャンボン・ブール)だった。

昨年末に友人たちとマルディ・グラで食事をしたとき、絶品のお肉料理を次々と食べて、どれも本当に美味しくてうれしいねえ、大人になってよかったねえと言っていた。そこで「プラハのハムと山のハムいろいろ」というメニューがあって、どういう流れかは忘れたけど、わたしは突然友人に「聞いて、わたし、ハムが好きなの」と言った。友人は「そうかそうか、ハムが好きなのか、じゃあ頼もうね」と笑ってハムをオーダーしてくれた。ワインの力もあったのだろうけど、宣言したことがなんだかとてもうれしかった。


ハムについてダラダラと書いて、何が言いたいのかというと、わたしは自分が好きなものを好きだと言うことがあまりないような気がする。好きだと気がついていないこともあるし、なぜか認めていないこともある。どちらにしろ「わたしはこれが好きだ」と言うことをしてこなかったのは確かだ。

好きなものは好きだと言って夢中になれる人のことがいつも羨ましかったし、それは「やりたいことがある/ない」にも通じて、「やりたいことがない」というわたしには「夢中になる力」が足りないのだと思っていた。

だけど、最近はそうではなくて、好きなものがないのではなくて、好きだと認める勇気が足りないんだと思うようになってきた。本当は好きなものはあるのに、外に出していないから自分でも気がつかなかったり、知らないうちに「自分が好きだというのは迷惑だ」と(我ながら何に迷惑かは謎だけど)蓋をするクセがついているのではないかと思っている。

フラれるのがこわくて好きじゃないことにするというような、失敗がこわくてやりたいと思ってないことにするようなことは、安全なんかではない。自分を守っているようで、騙しているようなものだ。それに慣れると、ハムですら好きだと言えなくなる。その方がよっぽどこわい。

だから、好きなものを好きだと言っていこうと思う。どんどん言おうと思う。

わたしはハムが好きだ。

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