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幼少期になにを浴びたか?英才教育について考えた。

先月、柳本浩市さんの展示を観に行ったとき、展示されていた彼の年表をみて驚いた。

柳本さんは、超人的なコレクターとして活動し、そのモノや情報から考察し、文脈を作り、未来へ社会へ再定義してひろげていく編集者として活躍していた。

年表によると、彼は4歳で神保町の古本屋巡りをし、6歳でアメリカから通信販売で洋服屋雑貨の買い付けをはじめ、ファイヤーキングの食器を集めはじめる。7歳の夏休みの自由研究ではビーチ・ボーイズの未発表のアルバムを自分で音源を組み合わせて完成させた。11歳でヴィンテージジーンズのコレクションは2万本を超え、17歳ではサザビーズのオークションで絵画を買い漁る。

幼少期から圧倒的にカルチャーを浴びていたのがわかる。好奇心と吸収力と行動力は尋常ではない。こどもだからこそ夢中になれることだけれど、経済的にも親の理解と余裕がないとできないことばかりだ。

こどもの興味と得意なことを、親がつくることができる環境のなかでできることをさせ、上質なものや情報を与え、会うべき人に会わせてあげる。これぞ英才教育だなと唸った。


将棋だったり、フィギュアスケートだったり、プログラミングだったりといろいろな英才教育の結果、活躍している若き天才がいる。彼らもまたそれらを与えられたのではなく、ザバザバと浴びてきたのだろう。

わたしは子育てをしてきた14年で、彼女になにをしてあげられたかなと考えた。

先日、娘のあーちん(14歳)から「読んで〜」と文章がLINEで送られてきた。そこには「友達との関係性について」とあった。(以下、一部抜粋)

それぞれに自分の意見があり、それが食いちがってしまうが故に喧嘩がおきる。どんなに仲が良くても起きる現象だけれど、喧嘩別れをせずに友達との関係をもっと深いものにするためには、お互いの意見をちゃんと他人の意見として取り入れることが必要だ。

 人は人、自分は自分。いくら仲良くなったとしても、相手もまた個人であり自分とは別の人間なのだ。自分の意見を押し付け合わずに、この人はこういう人なのか、と、わかりあえてこそ仲良くなれる。そうしてわかりあえた人とは、ずっと友達関係を築いていけるだろうし、それはとてもしあわせだと思う。


ああ、うちの英才教育はこれかもしれないな、とつい笑った。

わたしは彼女が小さい頃からずっと、「自分の頭で考えること」「人のせいにしないこと」について徹底的に教えてきた。「親だからといってわたしのせいにしないで、自分で考えて決めてね」と、子供のうちから対等に接してきた。これは、だいぶ厳しく、かなりのスパルタ教育だと思う。もちろん甘えることもあるし、わたしは常に彼女のいちばんの味方だった。

子供はある日突然大人になるわけではないし、親もある日突然子供を突き離すわけにはいかない。生きている年数がすくないというだけで主従関係をつくらずに、親子がお互いに一人の人として、別人格としてわかりあえることが、ちゃんと自立した大人への近道だろうと思って接していた。

この文章を読んで、彼女はかっこいい大人になってきたなとうれしく思ったし、わたしたちはずっと仲良くできそうだな。そしてそれはとてもしあわせだなと思った。


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