見出し画像

勉強がたのしいって知らなかった、早く言ってよ案件。

わたしはあまり勉強がすきではなかった。と、最近までそう思い込んでいた。

小学生や中学生のとき、勉強は「答えを出すもの」だった。答えを出すために知識を得て、暗記して、必要な時に使えるように勉強していると思っていた。もともとある情報や方法を、自分の中に入れることだと思っていた。

基本的なベース作りの段階ではただ入れることも必要だけれど、大人になって知ったのは、勉強は、自分が知りたい、わかりたい、できるようになりたい、ということを引き出すのがスタートで、自分の中に知識を入れる→必要な時に使う という順番ではないってこと。(早く言ってよ案件)


子どもの頃から、わたしの「わかりたい、知りたい」という気持ちはとても大きかったけれど、それがいいことだと思える経験がなかった。「なんで?どうして?とうるさい、しつこい」「子どもらしくない」と言われてきたので、たとえば図書館で心理学や哲学のコーナーにいるときにも(なぜか)コソコソしていたし、興味をもったことを質問しても「大人の話だから、子供はそんなこと知らなくていい」と言われてしょんぼりしたりしていた。

知らないうちに好奇心を閉じ込めていたのかもしれないけれど、今は大きな声で言いたい。知らなくていいことなんてひとつもない。

大人になってから「どうして?なんで?ほんとに??」と思ったことについて調べたり話を聞いたりすることが、ものすごくおもしろい。知りたいことを知るのは、ただ情報を受け取るよりも、吸収力がずっと大きく、芋づる式にもっともっとと知りたくなる。ちょっとまって、勉強って、おもしろいじゃないか!と驚いている。(素直なのかひねくれているのか、もはや自分でもわからない)


わたしの娘のあーちん(現在中3)が通っている学校は、その点でものすごくすばらしくて、わたしも通いたかった(なんなら今でも通いたい)と思っているのだけど、その学校では常に「自分が何が好きかを知る」「自分の考えを話す、書く、人に伝える」ということを徹底して教えている。(教えるというよりそれを繰り返しさせている)

中学校のさいごに、卒業研究としてひとりひとつのテーマについて調べて、資料を作って、みんなにプレゼンをするというのがあり、それがとてもおもしろいので毎年聞きに行っている。

例えば今年の生徒たちのテーマの一部がこれ。

「ストレスを感じない人間関係とは」
「整数の乗数について」
「Tシャツの魅力」
「織田信長に私たちの言葉は通じるのか」
「上手な空気の壊し方」
「あぶない刑事はなぜこんなにも人を魅了するのか」
「ロヒンギャ問題解決に向けて」
「人はなぜ人を殺すのか」
「教育資本の批判」


ちなみにあーちんのテーマは「人が惹かれる食べもののイラストについて」

この、個性丸出しでみんなバラバラのテーマ(あぶない刑事て)を一年かけて調べ倒して、みんなにプレゼンをする。提出ではなく、伝えるところがゴールというのがとてもよい。

これによって「Tシャツの人」「食べもののイラストの子」「あぶ刑事のやつ」とタグ付けされて、キャラが立つ経験はとてもいい経験だ。友達同士でも、テーマがまったく理解できないことでも「あいつはこれが好きなんだ」と尊敬しあうし、本当に羨ましい。


勉強も仕事も、与えられたものを楽しくやるには技術が必要だけど、自分の好奇心で動くと苦痛どころかやめろと言われてもやり続ける。「やりたいこと」がないと思っている人(わたしも)は、この卒業研究をやるつもりで「何をテーマにしようかな」と考えてみるといいかもしれない。


勉強がたのしいとわかるのに30年かかっちゃったけど、今からまだまだ知りたいことを知っていこう。わからないことをわからないと言っていこうと思う。

(もうすぐ、知りたいわかりたい気持ちでできたマガジンをはじめるよ!)


\読んでくれてありがとうございます!/ みなさんのサポートはとても励みになっています。