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編集者、最強なのでは?という仮説

わたしは「やりたいこと」が特にない(叶え組)ので、何かをはじめるときの動機は「これがしたい」ではなく「わからないからわかりたい」ということが多い。そして、あとから「ああ、こういうことか!」と自分のしてきたことがわかる。というのがいつものパターンだ。

「編集」について勉強してきたことも、はじめはいったい何がしたいのか自分でもわかっていなかったのだけど、振り返ってわかったことを少し書いておこうと思う。

「編集」を、cakesの加藤さんは「影響力を最大化すること」だと言い、コルクの佐渡島さんは「集める、削る、並べかえる、補足する」の繰り返しだと言う。

9年前、30歳のときに「会社を辞める」ということだけ決めて、「では何をするか?」と、2年間みっちり考えた。(くわしくは過去に書いてるのでよかったらどうぞ)

自分が何ができるのか、何を優先していきたいのか、何をしたくないのか、何が足りないのか、とにかく何度も何パターンも考えた。これはまさに「集める、削る、並べかえる、補足する」の繰り返しだった。

わたしの優先順位は「お金と時間をつくること」だったので、さらに「自分のできること」の中からいちばんお金と時間がつくれるものは何か、どういうお店で、どんな方法で、何を販売したらいいかを考えた。これはまさに優先順位を叶えるために「影響力を最大化する」作業だった。

その当時、洋菓子店で働いていて、ケーキを作る人が「お店を作りたい」と言っていることに「ケーキを作るのとお店を作るのは別のことなのになー」といつも疑問に思っていたのだけど、彼らは毎日そこにいるから「知っている」と思っている。そしていざお店をはじめる時に「どうしたらいいのかわからない」と、知らないことがようやくわかる という場面を何度も見てきた。

作家に編集者が必要不可欠なように、ケーキ職人にも編集者が必要なのだと今になって思うし、わたしは前職で、たくさんの職人と経営者の間で「編集」の作業をしていたんだなとわかった。


子育てについても振り返ると、同じように「この人がどんな人なのか?」を知りたい気持ちが一番で、いいところや好きなことがいちばん伸びるにはどうしたらいいか?をいつも考えていた。わたしが直接何かをしてあげたいというより、わたしの役目は「知る、わかる」というところまでで、実際に誰と一緒にいて伸ばすかどうかは、親じゃなくていいし、影響力を最大化する人を選んでいた。

満遍なくいろんなことをできるようにするより、得意なことをめちゃめちゃやりきる方が本人も楽しいだろうと思っていたので、少し勇気が必要だったけど、「削る」作業(向いていないことをがんばってやらないこと)はかなり意識してやってきた。


こうして見てみると、「編集者」に必要なのはまず「好奇心」と「想像力」で、コンテンツ(人でも商品でもお店でもなんでも)から何を引き出すか細部に入り込んで観察して、どこに届けるかというまでの全体像を把握できることが重要なようだ。そうやって「知りたい」と顕微鏡とドローンの両方を出す人はどんな職業でもみんな「編集者」なのだと思う。


「編集」の視点をもったわたしは、新しいおもちゃを使い倒すようにいろんなことに活用してみた。たとえばこのツイートのように、人生の時間を捉え直してみたりした。


また、「編集」の視点をもってもうひとつわかったことは、若い時は、歳をとってたくさんの選択を繰り返していくと、道がどんどん限られて狭くなっていくのかと思っていたけど、それはちがったということだ。

実際には、選択をすればするほど、ぼやけていた視界から視力が良くなっていくようにクリアになって、選んだ先がよく見えるようになっていく。霧のかかった荒野を進んできたら、いつのまにか道になって、進むのがこわくなくなる。寄り道もできるし、余裕ができて誰かと一緒におしゃべりしながら進むこともできる。

これも今思うと、自分の視点の解像度を上げていく「編集」の力だった。その力はとても強くてとても役にたつので、人生をたのしく進むには全員が「編集者」になるといいのではないかとさえ思う。


最後に、自分自身を振りかえってみると、わたしはここ数年で「成長した」とか「変化した」のではなくて、自分を編集して「捉え直し」をしたのだと思う。自分は別になにも変わっていない。

そして、わたしが伝えたいことは「弱いまま、足りないままでも大丈夫だよ、できることがあるよ」ということで、自分の視点を言語化することで、誰かにちょっとだけ貸してあげたいんだなとわかった。

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