6歳のわたしの読書カードがとどいた話

こどものころ、近所に「ムーシカ文庫」という家庭文庫があった。このムーシカ文庫は「北極のムーシカミーシカ」「ながいながいペンギンの話」などの作者 いぬいとみこさんが始めたもので、ごくふつうの民家の一室に、こどもの本だけをあつめた本棚があり、じゅうたんが敷いてあるその部屋では、お話会などもよく行われていた。本は2冊ずつしか借りられないけれど、時間内であればじゅうたんに寝っころがって本を読んでいられた。こどもしか入れないその空間は、当時のわたしには天国のようだった。

小学生のわたしは、毎週土曜日の午後に開くこの文庫と、近所の図書館と、学校の図書室に通っては、片っ端から本を読んでいた。本が大好きでしかたないというより、毎日のスカスカな時間を、なにをしてすごせばいいのかわからなかった。とにかくものすごくヒマだった。



先日、ふとしたきっかけで、そのムーシカ文庫の卒業生と連絡をとることがあり、その方が、わたしが小1からの2年半の間に借りた本の記録(読書カード)を送ってくださった。

毎週2冊ずつ借りた約170冊の直筆の記録は、直視できないくらいグッとつよい力を感じた。30年後のじぶんに見られるとは知らずに書いた、6歳〜8歳の当時のわたしそのものだった。

借りた本の名前を見ても内容はあまりおぼえていないし、当時のできごとなんかもはっきりとおぼえていないのだけれど、そのころのモヤモヤイライラした怒りのような気持ちを、はっきりと思い出した。わたしはいつも怒っていた。居場所のなさや、理解されないこと、何をしたらいいかわからないということ、じぶんがこどもで、何もできないということに。そして、その怒りを抑えてガマンしていた。



この読書カードを見て、こどもだった自分に向けて、自分のこどもに抱く気持ちとはまたちがう感情がうまれた。

タイムカプセルに将来のじぶんへの手紙をかいて入れるとき、気恥ずかしくて、おとなになったじぶんの想像ができなくて、むしろおとなになった自分からの手紙がほしいと思ったことを思い出した。

タイムカプセルからでてきた手紙は、なつかしさを運んできてくれるけれど、もしかしたらほんとうに大事なのはその手紙への返信で、こどもだった自分になにが言えるか、よろこばせてあげられるか、なのではないかと思う。

こどもだった自分の怒りやかなしみを、つらかったねえ と、だれよりもわかってあげることができれば、おとなになってよかったなと思えるし、その記憶さえ、つよみになるのかもしれない。


わたしがあーちんに言ってきたことやしてきたことは、自分がこどものときにしてほしかったことなのだろうな というのは前から思っていたけれど、あーちんと気があうことをうれしいと思うのは、親としてのわたしだけじゃなくて、気があうともだちに会えなかったこどものころのわたしが、いちばんよろこんだのかもしれないなと思う。


どんなふうに生きるか、と決めるとき、何を中心に考えたらいいかわからなくなることがある。尊敬するだれかを思って恥ずかしくないように姿勢を正す人もいれば、いやな思いをしたことをバネに見返したいという人もいるだろう。

わたしがこの読書カードを見たときに感じたつよいなにかは、これからどんなふうに生きるか と考えるときに、「こどものころの自分をしあわせにしてあげたい」というおおきな芯をつくってくれた。

こどもがおとなになる道はつながっている。その道の先はもれなく死へつながっていて、過去に戻ってやり直すことは決してできないけれど、振り返ってみたときに、過去のいやな経験を「これでよかったな」と思えるようになるには、今現在の自分がしあわせでいることしか方法はない。逆から見ると、今自分がしあわせになることで、過去の自分をしあわせにしてあげることができる。


おとなになったわたしは、もうガマンしないで素直になると、ちいさい自分と約束しよう。



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