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チョコレート依存症だった話

チョコレート屋さんで12年間働いていたので今さらだけど、わたしはチョコレート依存症だった時期がある。

チョコレートの原料のカカオによって幸福感をもたらすエンドルフィンの分泌作用があるとか、砂糖による血糖値の乱高下の影響だとか、いろいろと原因はあるようだけれど、とにかくふりかえるとあれは確実に依存していたな、と思う。


思い出すのは、18歳のころ、父が倒れて入院したときのことだ。

父は脳梗塞で倒れ、そのときに駅の階段から落ちて脊髄の損傷があった。意識はもどったが、言語と身体ともに不随になった。プライドが高くて気性の荒い父はリハビリを拒絶し、病院でできる治療はなかったので、亡くなるまでの4年の間、何件もの病院を転々とすることになった。

自宅が賃貸マンションでエレベーターなしの3階だったし、父が起業時に勝手に保険を解約していて(事故のときに発覚した驚愕の事実)、入院している間ずっとお金がかかるため、家族総出で働かないといけなかったので、自宅で介護はとてもできない状況だった。家族は交代で病院へ足を運んだ。わたしも週に何度かアルバイトがない日に病院へ行き、病室で過ごした。病院では、父の身体を拭いたり、下の世話をしたりした。


わたしと父はこどものころから折り合いがあわず、仲良くできなかった。父が倒れたときも、わたしは父がきらいだった。きらいなまま、お世話をしなければいけなかった。

父は口からの食事ができず、喉に穴をあけて直接流動食を流す方法で栄養をとっていた。わたしは、病室にいるあいだ、その父の横でずっとチョコレートを食べていた。介護が必要な時間以外は、病室で本を読んだり勉強をしたりしながら、絶えずチョコレートを食べ続けていた。

病室独特の薬と排泄物のにおいがまざるなか、部屋にはチョコレートのにおいが充満していた。ときどき病室に来る看護師さんはわかりやすくイヤな顔をした。病室でチョコレートを食べ続けるわたしを見る彼女たちの顔には「この子はおかしい」と書いてあった。それを隠すこともしなかった。

そして、病院を転々とする厄介者の父に対するイヤミも言われた。「お父さんお家に帰りたいわよねえ」「知らないわたしたちより、娘さんにお世話してほしいわよねえ」とこれみよがしに父に話しかけたりした。わたしはそれらをすべて無視してチョコレートを口に運んだ。



こうしてふりかえって見ると、明らかに現実逃避の逃げ先をつくっていたのだとわかるし、しんどかったんだな と思う。だけど、かわいそうだとは思わない。強がりではなく、えらかったなーと思う。


あのとき、いちばん弱っていたのは母だったので、母に泣き言は言えなかった。家族が総倒れにならないように、無理矢理にでも自立する必要があった。当時、ともだちも恋人もいたけれど、誰かにたすけてもらうという考えはすこしもなかった。これも強がりではなく、そういう選択肢がはじめからなかったのだ。

こどものころから、なんとなく他人とわかりあえないことに敏感だったので、じぶんが大変なときほど「わかってほしい」と思うことがなかった。「まあわからないだろうから」と、むしろ隠すようなところがあった。


18歳のわたしにとってチョコレートは、じぶんの力の限界をこえてしまったときに、倒れないように、まわりに迷惑をかけずに自立するために、必要な依存先だったのだろうと思う。じぶんをなくして寄りかかるための依存ではなく、じぶんの足で立って進むための支えだったのだと。


その後、チョコレートを扱う仕事をしてから、毎日チョコレートに囲まれて、人よりたくさんのチョコレートを食べていたけれど、それは依存ではなかった(疲れているときについつまみ食いしたりしたけれど)。今もチョコレートは好きだけど、ときどきしか食べない。


今でもわたしはひとに頼ることがだいぶヘタだ。やはり迷惑がかかることを避けたいと思ってしまう傾向がある。だけど、こどもを介してわかったのは、親のわたしがこどものあーちんを頼ると、彼女はよろこぶ。頼りにされることがうれしいのだ。

わたしがあーちんを頼ることができるのは、つよい信頼関係があるからだ。ということは、他人に頼れないというのは、相手を信頼していないということになる。

そのことがわかってから、だれかを頼るときに、迷惑をかけるかどうかを考えず、相手を信頼することだけを考えるようになった。



18歳のわたしの周りには、信頼できる人があまりいなかったかもしれないけれど、今ならたくさんいる。相手がわたしに対してどう思っていようと、わたしが信頼している人はたくさん思い浮かぶ。

年齢とともに「ひとりでできるもん」という気持ちは徐々に薄れ、「まわりの力を借りてここまできたな」という思いがつよくなってきたので、その思いをそのまま頼って甘える方向に持っていきたい。同時にわたしもだれかをたすけたいという思いもつよくなってきたし、今ならそれができるとも思う。

あなたのことを信頼していますという表明と、わたしが誰かのたすけになるために、先出しでわたしからどんどん多方向に依存していこうと思う。


今、チョコレートを美味しくすばらしいものだと思うように、わたしのまわりのひとたちも、すばらしいご褒美だと思うので。



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