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あーちんと猪熊さんのこと

娘のあーちんが、きのう中学校を卒業した。ついこの前入学したと思ったらもう3年もたっていておどろく。

中学生になってからは、もうわたしがこどもにできることは食事と学費をつくることだけだな と思っていたし、実際に小学生の時と比べて格段に別行動が増えた。友達といっしょにでもひとりでも、彼女はどこへでも行けるようになった。インターネットも使うしゲームもするし勉強をしていてもしていなくても特に何も言わなかった。もちろん中学生にもなるといろいろあるんだろうけど、お風呂に入りながら歌っている声が聞こえると、大丈夫だなと思えた。


わたしが中学生のときは、とにかく「はやく大人になりたい」という一心で、あまりそのときの「今」を楽しめていなかったように思う。部活もテストも「はやく終わらないかな」とこなすようにやっつけていたような気がするし、卒業するときも、これから先を楽しみにするばかりで別れの悲しみなどすこしもなかったのを覚えている。

それは今でもあまり変わらなくて、先のことを楽しみにするのが原動力になっていて、気持ちがいつもちょっと先にある。つまりすごくせっかちだ。

その点で、あーちんはちがう。せっかちでもないし、「今」にちゃんと足を着けて先を見ている。


あーちんが8歳のとき、オペラシティで開催された猪熊弦一郎の個展『いのくまさん』を見に行った。谷川俊太郎さんのことばではじまる絵本『いのくまさん』からうまれたというこの展示には、猪熊さんの絵と谷川さんのことばがたくさん展示されていた。

「こどものころから えがすきだった いのくまさん。おもしろいえを いっぱいかいた」  絵本『いのくまさん』より


展示を見終わって、猪熊さんがいろんな時期にいろんな絵を描いていたこと(時期によって作風がまったくちがう)や、おじいさんになってから子供のような画風で猫の絵をたくさん描いていたことについておしゃべりしていたとき、あーちんは「あーちんは今じぶんが描く絵がすきで、でももっと上手になりたい気持ちもあるんだけど、上手になったら今の絵はもう描けないのかなって思ってたから、猪熊さんの絵を見て安心した」と言っていた。

わたしはそれを聞いてすごくおどろいた。すごいな!と尊敬したし、自分の中にはない感覚だったので、彼女の性質そのものだなと感じて、この会話は大事に覚えておこうと思った。


その4年後には、香川にある丸亀市 猪熊弦一郎現代美術館にも行った。


そして、先日、『猪熊弦一郎のおもちゃ箱』(小学館)という物語作品集が発刊されたのだけど、なんと、どういうわけかその中にあーちんの言葉を載せていただいた。


できあがって届いた本を見ながら「こんなことって、あるんだね」と話した。8歳のあのとき見た猪熊さんの絵と一緒に、本の中に自分の言葉が並ぶなんて、本当にすごいことだ。

(ちなみに『いのくまさん』の展示の言葉の谷川俊太郎さんにも、2年後にお会いしてお話しできた。なんなんだ、あーちん)


これはせっかちで先のことばかり見ていたわたしには到底できないことで、ちゃんと今の自分にできることをして、今の自分が好きなものを楽しんで、そのとき感じたことを言葉にできる彼女だからできたことだなと思い、改めてあーちんを尊敬した。


わたしはただ自分のせいにされたくないがあまりに「好きにして」「自分で考えて」と言い続けたことが、彼女にとって運よくいい方に向かってくれてラッキーだったのだけど、彼女がもともともっているすごくいいところは「目の前にあるものをよく見る」だと思う。

よーく見るから絵が描ける。よーく見るから地に足がつく。目の前のことを見るから他の人のことが気にならない。目の前のことが見えるから将来が怖くない。


これからも、せっかちなわたしは先のことを話しては(海外に行ったら?とか、あの仕事やってみたら?とか)あーちんに怪訝な顔をされるのだろう。

そしてあーちんはこれからも、目の前のことをよく見て、好きなものを選んで、自分の速度で進んでいくだろう。何も心配はしていない。卒業おめでとう。


2018年3月15日


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