それぞれの、よいドラマを。

さあいよいよ春から社会人です、と言われても、なんだ突然宇宙人になるみたいな言われようだな、などと思っていたけど、はじめて就職した会社で、わたしはまさに宇宙人に囲まれたかのようにビクビクと怯え、ガチガチに緊張していた。

わたしが就職した街の洋菓子店の社長は、宇宙人というより山賊のようなおじさんで、背の高さも横幅も大きくちょっとした丘のような身体で、グローブみたいな分厚い手でおなかをバンバン叩きながらガハハハハと山が動くほどの大きな声で笑うのだった。


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社会に出る1年前、製菓の専門学校に通っていた夏に、父が脳梗塞で倒れた。一命をとりとめたものの、いつどうなるか見通しの立たない長期入院をすることになってしまった。

就職して自立したら、念願のひとり暮らしをして自由になれる、と心待ちにしていたのに、お給料は入院費や実家の家賃などにあて、ひとり暮らしもできず、休日も病院へ父の介護に行く、自由とは真逆の生活がはじまるとわかって、わたしはおそらく考えることをやめたのだと思う。

専門学校の就職課に要望も出さず、すこしも探さずに、コンビニで手に取ったhanakoのスイーツ特集の中からいちばん家から近い行ったこともない洋菓子店に電話をして面接を申し込み、その場で就職を決めた。


4月になって、そのお店で毎日働くようになった。そのときのわたしにとって「社会人になる」ことは「毎日働くこと」でしかなかった。そして、「頑張ること」は「我慢すること」だった。

お菓子屋さんでの仕事は誰にでもできる作業だったけれど、たくさんの知らないことやできないこと、飛び交う怒鳴り声に毎日ビクビクと怯えていた。人は期待に応えるようにできているのか、「怯えたダメな新人」の役を請け負い、先輩にできないことや間違えたことを指摘され続けると、萎縮してできることもできなくなり、悪循環でどんどんダメになっていった。

そうして怒られるのを我慢して、自分の考えがでるのを我慢して、休みの日に遊べないのを我慢して、夜眠れずに日中いつも眠いのを我慢していた。

その結果、入社から1年もたたないうちに身体をこわしてしまい(胃潰瘍と胆石が同時に発症した)、休職を余儀なくされた。休むことは会社に迷惑がかかる悪いことだと思っていたので、申し訳なさすぎてもう会社に行けないという理由でそのまま退社した。社長の顔は怖くて見れなかった。


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その後、体調が戻ると、知人から手伝ってほしいと呼ばれた先の別の洋菓子店で働くことになった。

開店1年目のあたらしいお店で、現場はやらなきゃいけないことで溢れ、混乱し、とにかくみんな困っていたので、わたしは持ち前のおせっかいを発揮して片っ端から仕事を整えたり役割を決めたり仕組みを作ったりした。すると、そこでは仕事をすると怒られるどころかよろこんでもらえた。


そのお店で働いて2年ほど過ぎたころ、チョコレートの在庫管理と製造から販売先までを追跡するために社内の仕組みをつくることになった。

年間に何万個もつくる数十種類のすべての製品を、製造からお客さまの手に渡るまでに、触れるすべてのポイントで記号と日付でチェックし管理するためのその仕組みは、素人のわたしがエクセルだけでちまちまとつくるにはあまりにもめんどくさく、先が見えず気が遠くなり何度も白目になって投げ出したくなったけど、現場の効率をよくして管理を楽にするために絶対に必要だと思えたし、会社のみんなの役に立ちたい一心でなんとかやり遂げ、結果的にとてもいいものができた。


そして、その仕組みについて社内のスタッフへオペレーションの説明をするミーティングが行われた。

そのミーティングのテーブルに、どういうわけか前職のあの山賊の社長がいた。

社外の人が勉強のために同席すると話は聞いていたが、よりによってなんで、と冷や汗と動悸でパニックになりながらも、どうにか仕組みの説明を終えた。


ミーティングが終わったとき、山賊の社長は「なんだよおまえ、こんなことできたのかよ。うちにいるときのヘタレ具合はなんだったんだよ。本当に同一人物かよ」と大きな手でわたしの肩をバンとたたいてガハハハハと笑った。

わたしは緊張と安心がまざって混乱し、薄笑いを浮かべるしかできなかったけど、「ああ、これだったのか」とはっきりと思った。今までの仕事はここにつながっていたのか、と。


社会人1年目のわたしが、ダメダメで何もできなかったこと、我慢することを頑張ることだと思っていたこと、自分で選んでいないからと環境や人のせいにして努力をしなかったこと、怯えてばかりで楽しむことができなかったこと、そして自分は不幸でかわいそうだと思い、自分のことしか考えていなかったことを、一気に思い出した。

新しい職場でめんどくさくて大変な作業を頑張って終えることができたのは、我慢したからではなくてみんなのためだったからだし、前職の社長は、迷惑をかけたことを怒るのではなくて、自分のできることを見つけたことを褒めてくれた。

「社会人になる」というのは、宇宙人になることでも、ただ毎日働くことでもなくて、自分のためと誰かのために、自分のできることをして、役に立つことなのかもしれないなとすこしだけわかった気がした。


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だいたいのことは、その最中にいるとわからない。

すべてのことはとぎれとぎれではなく地続きなんだと、進んだあとでふりかえったときにわかる。

イヤな思いやつらい経験も、ダメダメで忘れてしまいたい行動も、恥ずかしい発言もなかったことにはできなくて、いいことも悪いことも関係なくぜんぶ続く道の先につながっている。

それでいつか「ああ、このためだったのか」と自分や誰かの役に立つときがくる。ひとつひとつの経験の種が時間をかけて育ち、花束の贈りものになるように。

経験の種を腐らせずに育てるために必要なのは、その場に立ち止まらずに先に進み続けることなのだと思う。その経験にどんな意味があるのかわからなくても、あとできっとわかるからと置き去りにしてすすむしかない。


そして、そんな「あのときのあれが、こうなったのか!」と伏線を回収するようなドラマのシナリオは、他でもない自分でつくっている。どんな環境や設定でも、悲劇にするか喜劇にするかは自分で選んで決められる(ちなみにわたしはそれを伊坂幸太郎メソッドと呼んでいる)。


学生編のドラマを終えて社会人編がはじまると、その先はとても長い。わたしは40歳になった今でもまだ山あり谷ありの道の途中だし、よく迷子にもなる。でも、迷ったら笑える方を選んで、ゆっくりドラマを進めていけばいい。そのドラマを命が終わる間際に観たときに「あーおもしろかった」と言えればいいのだと思っている。

社会人1年目の人も、その先を進む人も、それぞれの、よいドラマを。


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この記事は、キリン×noteの「#社会人1年目の私へ」コンテストの参考作品として書かせていただきました。
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