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君のスイッチをONしたい

たとえば本でいうと、アマゾンで決まった目的の1冊だけ買うときは、視野は絞られているからむしろ他の情報は不要だったり、なんでもある大きな本屋さんで本を選ぶときは、じぶんから出会いにいくウィンドーショッピング感覚があったり、意志をもって選んだ本が並んでいるセレクト本屋さんでは、自然と意識が高くなってドヤ感で選んでいたり、古本屋さんでは宝探しの発掘の目をもっていたり、さらに誰かが読んでごらんと貸してくれた本は、読んだあとで話すことも含めて本にその人がまざっていたりする。


同じ本でもどこで出会うかでちがうものになるし、同じじぶんでも場所によってちがうスイッチが入る。

先日、吉本ばななさんがトークイベントで下北沢への愛を語っているのを聞いたときも同じことを思った。街によって場所によってじぶんのスイッチは切り替わり、表参道ですこし(だいぶ)背伸びをしたり、新宿で社会を憂いてみたり、高円寺でスニーカーを履いたり、代々木上原でちょっと高いおしゃれなランチを選んだりする。

どこに住むか選ぶことは「どこにいるじぶんが好きか」ということと「じぶんのどの面を見せたいか(経済面も含む)」のせめぎ合いのように思う。「職場に近い」など効率だけで選ぶのは「住む」という意識に「暮らし」が皆無で、そういう段階もあるのだと思う。それも含めて「じぶんのどのスイッチを入れるか」で選んでいるんだなと思った。


いったい何が言いたいのかというと、今の時代、情報の多さとか正しさとかはキリがないから「どこのスイッチを押すか」だけを考えて、ものや場所をつくりたいというのがこの頃でた最新のわたしなりの答えだということ。


人生をひとりひとつしか選べないことと、情報や選択肢の多さのバランスがおかしくなって無理がでているように思う。仕事でも結婚でもなんでも、選択肢がありすぎて選べないひと、もっといいのがあるかもしれないと選び損ねるひと、選んだけどまちがえているかもと不安なひと、選ぶのをあきらめるひと、選ばなきゃいけないと焦るひとなどが溢れている。

正解はないとか、じぶんらしくとか、好きなことをしろとか、言葉でいうのは簡単だけれど、少なくともわたしはそういう言葉で心が突き動かされて行動したことはない。

ひとはもっと細かくややこしくめんどくさくできていると思うので、つるっとした情報からはつるっとしか受けとらないし、心のひだの奥に届くことはあまりない。でも、みんなそれを待っているんだとも思う。

もちろん、大勢によしといわれることや数がもっている力もあるし、それが得意な人はどんどんやってほしい。わたしは、ひとのつるりとした面の下のふかふかやひだひだを、そのなかに埋もれているたくさんのスイッチを思って、ものをつくろうと決めた。手段は文章でも映像でも場所でもクッキーでも靴でもなんでもいい。

ねらってスイッチ押すぞとは言えないけど、ひとってそういうもんでしょ、みんなさみしいでしょ、めんどくさくてしょうがないでしょ、でもなんかかわいらしいよねという前提でつくりたい。

世間知らずのバカだと言われても、今の時代に必要なのは、人生讃歌だと思うので。


こうやって、わたしは結局じぶんの話しかできないのだけど、もっと誰かの「じぶんの話」を聞きたい。それがいちばん聞いてうれしいし、じぶんには関係ない話のようで、誰かの1分の1の話ほど響くものはないと思う。


というわけで、noteのマガジンのデザインがおしゃれになったことを機に、「だれかのじぶんの話を聞く」企画をすすめています。わたしがいちばん楽しみです。詳細が決まったら、またお知らせします。


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