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弁当の泣きどころ

朝、目がさめた瞬間に思い出すのはなんだろうか。
わたしは、お弁当の段取りだ。

顔を洗いながらあたまの中で、手鍋にお湯を沸かして鮭をグリルに入れて冷蔵庫からたまごを取りだす手順を追う。

ふらふらとキッチンに立って、その手順をなぞって手鍋にお湯を沸かして鮭をグリルに入れて冷蔵庫からたまごを取りだす。卵焼き用の細長いフライパンを火にかけあたため、たまごをちいさなボウルに溶いて醤油と砂糖と出汁をすこし入れてまぜる。フライパンに油をしいて、たまごの液を流し入れる。ジューと音を立てた液体が固まるまえに、フライパンの長方形全体に行き渡るようにかたむける。表面にまだ液体がうすく光っている状態で、端っこからかたまっていくたまごを、菜箸で奥から手前にぱたりぱたりとたたんでいく。手前まできたら、残りのたまご液をフライパンに流し入れ、たたんだたまごをすこし持ち上げて、その下にも入れてあげる。空気の泡ができたら菜箸でぷつとつぶす。手前のかたまりを今度は奥に向かってころがす。雪だるまのごとくたまごの液をまといながら大きくなって、卵焼きができあがる。バットにころりと転がしたできたての卵焼きは、熱くやわらかく、ちょっと前まで液体だったなごりを感じさせる。

沸いたお湯でインゲンをサッと茹で、空いたフライパンで輪切りにしたズッキーニを焼く。すりごまと砂糖と醤油をまぜたものをインゲンに和える。炊きたてのごはんにゆかりを混ぜてお弁当箱につめる。焼きあがった塩鮭をのせ、卵焼きを切ってつめる。夜にまとめてつくっておいた常備菜からにんじんのたらこ炒めと紫キャベツのマリネをつめ、インゲンの胡麻和えと焼いたズッキーニを入れ、お漬け物を添える。


ここまでで起きてから20分。

あーちんを起こして、あけた窓の自然光でできあがったお弁当の写真を1枚撮る。


毎朝のことなのですこしは慣れてはきたものの、これが毎朝泣くほどめんどうくさい。寝る前は翌朝のお弁当を思って憂鬱になるし、夏休みがあける8月31日の夜には、お弁当の再開がイヤすぎて泣いた。

すきで得意でやっていると思われることがあるけれど、実はそれくらいめんどくさいので、昨年の4月にお弁当つくりがはじまるときに、とにかく続ける方法を考えて、写真をInstagramTwitterにアップすることを自分に課した。これは仕事だ として、ほぼ意地で続けている。


イヤなことも、どうせやるなら、しょうがないからなるべく楽しい方法で、やると決めて自分に課したら続けることはできる。時間がたてば、慣れてきてつらくなくなってもくる。だけど、わたしはお弁当つくりがだいすきになる日はこないと思う。お弁当をつくりたくてうずうずする日も、メキメキ上達する日もこないと思う。


最近、仕事ってなんだろうと改めてかんがえているところなのだけど、たぶん、わたしはどんな仕事でも同じスタンスで、苦手でもなんでもやればできるし、どうせなら楽しくやるのだ。

そんな自分の性質だからこそ気をつけたいのが、「できるけど別にやりたくないこと」で時間を埋めるのはやめようということ。仕事はガマンではない。もちろんガマンする場面はどんな仕事でもあるけれど、ガマンしていやなことをする=お金をもらう ではないし、仕事は罰ではない。わかっているつもりでも、ときどき自分に言い聞かせないと、たのしいことに時間をつかうことにうしろめたさを感じてしまうことがあるので、ここに書いておこうと思う。


向いてないのにがんばってガマンしてやるのは、お弁当作りだけで十分だ。



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