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つかれて泣きたい夕方のこどもとおとな

先日、夕方に、自転車の後ろにのった子供が泣いているのを3連続でみかけた。原因がなにかはわからないけど「こうしたかったー」「思ったのとちがうー」「なんかやだー」というパッションを聞いて、わかる、わかるよと思い出した。

あーちんが保育園に通っていたとき、お迎え時のこどもたちは機嫌が悪かった。お母さんが迎えにきてくれたうれしさと、緊張のほぐれと、1日の疲れがいっぺんにでると、不機嫌さや、泣くという甘えかたにでる。


わたしが子供のころ、母は、疲れていると機嫌が悪かった。自分が誰よりも疲れていてこんなに大変なのだから、迷惑かけないでくれとよく言われていた。3人の子供がいたらそうだよね、大変だったよね、と今ならわかるけれど、当時はもちろんそう思えず、迷惑をかけないように気をつけていたし、ひとは疲れていると怒るんだなと思っていた。


おとなになってから、あれは母の性格や環境であって、疲れているからといって怒るのは、わたしはイヤだなと思うようになった。感情とコンディションを分けたほうがいいなと思った。

たとえば子供が言う通りにならなくてイライラしたとき、感情(イライラする)のきっかけ(子供が言う通りにならない)を、コンディション(疲れている)を加味したものだと自覚して捉えるようにした。同じ状況でも、自分のコンディションによって感情は変わるし、その自覚がない場合、感情だけを大事にしてしまって、つらくなってしまう。「子供が言う通りにならないからイライラする」のではなく「疲れているからイライラする」とわかっていれば、その解決のために対処したほうがいい。

感情をガマンして抑えるのではなくて、コンディションの把握するのが、近道だと思う。


わたしはシングルマザーなので、よくある夫婦間の「わたしのほうが疲れている」「僕だって大変なんだ」というケンカをする相手がいなかったので、そうやって解消しなければやってられなかったというのもあるけれど、自分がされていやだったので、子供に出したくないなと思ったというのもある。

わたしはあーちんを子供(未熟という意味で)として見たことがないので、「子供も大変ですよね」「おつかれさまです」という気持ちがあった。また、彼女をひとりの人として頼りにしていたので、わたしが疲れていてついイライラして怒ったときは「ごめん、疲れていて、まちがえちゃった」と言うようにしたり、あー疲れたというときは「あーちん、わたし、疲れた〜〜〜」と抱きついて甘えていた。

すると、彼女は「もう〜おとななのに〜」と言って、照れながらよしよしと慰めてくれたり、「あーちんも〜〜」と一緒になってグチったりした。そして、「ごはんつくらないで外に食べにいっちゃおっか」とか「高いアイス買っちゃおっか」などと言って、自分たちを甘やかしていた。


だれかに弱さを見せたり頼るときに、相手になにかしてほしいという望みではなく「コンディションの報告」をするのは、とても合理的で誤解がないのでとてもいいと思う。


わたしとあーちんのチームの唯一のルール「不機嫌禁止」の奥にあるのは、ガマンではなくて信頼なのかもしれないなという話。

年末に向けて駆け抜けるみんな、ゆっくり休めますように。

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