編集ってなんですか(見つけにくいものですか)

先日、「ほぼ日の塾」という取り組みのなかで、「対談を編集する」という課題があり、46人の方が、ひとつの対談をそれぞれ編集したものが公開された

それを読んで、とてもふしぎな感覚と、とある考えであたまがいっぱいになってしまったので、書きのこしておこうと思う。


わたしはライターでも編集者でもないし、文章を書くのは素人なので、文章としてどうかという観点はほとんど持ち合わせていないのだけど、おなじ話をまとめたときに、こうもちがうのかと驚いた。

どの角度から捉えるか、どの角度で切りとるか、どの順番で見せるか、素材を調理するように編集をするのだなと思った。


その驚きとともに、自分の知っている感覚ともかさなった。それは、ここ何年かわたしがいちばん意識してやってきたことで、それが「編集する」ということだったんだなとわかった。

じぶんの目で見えている世界は、じぶんの解釈や、見る角度や、切りとりかたで編集されている。わたしから見えている世界と、誰かが見ている世界は、同じはずが、まったく別ものになる。

わたしは「こんな角度から見るとおもしろいよ」と、見えている世界をだれかにも見せてあげることで、誰かが楽になるかもしれない と、noteやTwitterでぺらぺらしゃべっているのだと思う。


また、じぶんでじぶんをも編集している。

22歳くらいまで、じぶんの人生を「生まれつきのハズレくじ」だとしていた。

そう思うことで、つらいことがあったり、うまくいかなくても、しょうがないとあきらめて受け入れられたからだ。やさぐれて自暴自棄にならないための手段でもあった。ひとに嫌われることに敏感で、だれにも理解されないのだと思い込むことでじぶんを守っていた。

だけど、運転のヘタなおばちゃんの自転車のように、無意識にも、見ているほうに進んでしまうのだ と気がついた。

気がついたからといって、突然ポジティブになれるわけではないし、期待したぶん落ちるときにイタイ という防衛本能もはたらいて、じぶんの人生がいいものだ と急に切り替えることは無理があった。

ただ、「誰かから見てしあわせかどうか」ではなくて「じぶんのしあわせはなにか」だけを考えたら、「死ぬときに、あーおもしろかった と言いたい」ということだったので、「そこに帳尻を合わせるためには、わたしの人生はおもしろいものでないといけないわ」と思った。

おもしろいものにしようと決めると、日々の、明日の、将来の選択をするときの基準が「おもしろいかどうか」になる。

では、15年くらいそれを続けてきて、わたしの性格が変わったかというと、何ひとつ変わってはいない。ネクラはネクラのままだし、嫌われることはこわいし、定期的に「なにもかもめんどくさい」とすべてがイヤにもなる。頼ったりやつあたりしたり甘える相手も相変わらずいないし、みごとになにも変わってはいない。

それでも、わたしはあと40年生きても来週死んでも「おもしろかった」と言える自信がある。

それは、配られたカードは変わらないけれど、編集能力を身につけたからだ。


ひとにウソをつかず、じぶんを騙さず、正直なままでも、じぶんの人生を編集できる という実験とレポートを、これからも続けようと思う。


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